遠い夜に

とても遠い夜に来た。

月を追いかけて。あるいは野良猫がたくさんいる街を捜し歩いていて。

街の明かりが見えない場所を探して。先日降った雨の水たまりを探して。

 

とても遠い夜に来た。

あの日別れた人に、伝えていなかったことを思い出して。

電車に置き忘れたお気に入りの傘が流れ着いたはずの駅をたどって。

気づいたら、たくさんの本の上を歩いて。

 

とても遠い夜とは、さてどこのことだろう。

それは本当にあったかどうかも定かではない、だけど、記憶の底に張り付いて忘れられない夜のこと。

何もすることがない日に、そういう夜を思い出すと、遠い夜をさまよっているような気持になる。最近ではことさら、泊りがけの遠出を自粛「させられて」いるから、昔の夜のことを思い出してぼうっとすることが増えた。

 

わたしの記憶の中の最も楽しくて美しい夜は、地中海の真ん中に浮かぶ島国マルタ共和国で過ごした夜だ。2019年の夏、1か月間を過ごしたあの楽園のような島の夜。

 

 毎晩毎晩、銃声に似た破裂音がしていた。島に点在する教会が挙げている花火の音だった。ある日は東から、ある日は西から。泊っている宿から時々その一片を垣間見ることもできた。

 風が入ると気持ちいけれど、網戸がないのでとにかく蚊に刺されまくった。日本に売っているのとそっくりな蚊取り線香を焚いて何とかなったけど、まさか異国の地で日本の夏の香りをかぐことになるなんてなあ、と思った。

 

 野良猫がたくさんいるという街ーセントジュリアンを目指して夕方から沿岸をずっと歩き続けて、暗くなっておなかもすいて、結局その街にはたどり着けなくてバスで帰った、なんていう情けない夜もある。

 

 島の沿岸にはさまざまな大きさ・用途の船がおいてあって、それがさざ波に揺られている風景も好きだった。それ見ながら路上のベンチで一杯やればよかった。

 海のそばの遊歩道にはたくさんベンチがあって、明るすぎない街灯がまばらにあった。そこでアイスを食べたりピザを食べたりしながら談笑している人がたくさんいた。

 

人が心地よく過ごすために作られたみたいな、すてきな風景だった。

 

なんであんなに楽しかったんだろう。

後日考えてみて納得できたその理由は、 私のことを知っている人が一人もいなかったからだ。私がそれまでたどってきた経歴、身に着けた知識や技能は飛行機に乗る前に成田空港に置いてきた。何者でもない私は、とても自由だった。

帰りを気にしている両親もいない、もちろん門限もない。

 

 ああなんだ、もっと羽目を外しておくんだった。うんと遠い夜を旅しておくんだった。2020年以降こんなつまらない日々が続くとわかっていたら、きっと私はそうしただろう。

 

もう一つの私の好きな夜は、移動する夜だ。

 飛行機や空港で過ごす夜、夜行バス、まだ空が暗い時間に出発するキャンプ、夜行列車。すべて好きだ。なんだろう、あのわくわく感。

 暗くて危ない夜という時間、本能的には巣穴に帰りたくてたまらないところを、わざと不安定な状況に身を置く、そのスリルのせいだろうか。

 

移動する夜といえば。

 出雲まで鈍行を乗り継いでいった日の帰り、出雲から東京まで「サンライズ出雲」という夜行列車で帰ったのが楽しかった。

貧乏学生の一人旅だったので「のびのびシート」という最もランクの低い座席に座り、がたがた電車に揺られ続ける夜。全然眠れなかったけど、旅行中に撮った写真を眺めていたりしたらあっという間だった。

 

 これまた貧乏一人旅で四国に行ったときには、夜行バスを途中で乗り換えるというミッションがあってとても楽しかった。

 その乗り換えは、確か深夜3時くらいに、おいていかれたら心細すぎる山の中の小さな駐車場で地味に行われた。秘密で国境を越えようとしている難民のような気持になった。

 

とても遠い夜。

思い返せば返すほど、幻灯機で映し出す映像のような質感になって、本当にあったことなのかなと疑ってしまう。

そして、すてきであればあるほどその輪郭はぼんやりとして、つかみどころがない。

 

自宅で過ごす夜はここのところ、総じてぬるい。

会いたい人に会えない夜、一人で過ごすにはあまりにやりきれない夜、

逆に一人きりで編み上げるような夜、なめるように過ぎる時間を、丁寧に過ごす夜。

 

日常に埋まった無個性な夜に浸りすぎると、いろいろ鈍って都合が悪い。

早くまた新しい夜を旅したい。

 

今思っていることは本当にそれだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛している、が、ちゃんと伝わっているかしら。  

 

 愛している、が、ちゃんと伝わっているかしら。

 

「愛している」と誰かに言われると、犬がお手の芸をするみたいに「愛している」と答えてしまう。わたしはとても人を愛したがるから、これは本当に「愛している」なのかしらとときどき厳しく問いたださなきゃいけない。

本当に愛している?愛されたいから愛したがっているだけじゃないのかしら。

 

 私が「愛している」を言うときは、誰かの「愛している」の返事でしかなかった。「愛している」の後にある「あなたは?」という心の声を聞いて、答えなくてはと思ってしまう。「愛している」と私が答えると、相手はとても安堵するか喜ぶかする。好ましい反応なので、私はこれでよかったんだと学ぶ。「愛している」には「愛している」が模範解答。「好き」には「わたしも好き」が正解。

相手に不安を与えたくなかっただけで、私は本当に「愛して」いただろうか。

 

 どうしても「愛している」と答えられない人に出会った。何度も言ってくれるのに、どうしても答えられなかった。わたしにはそのとき、他に好きな人がいたからだ。模範解答よりも、自分の気持ちを優先できた気がして、ちょっと嬉しかった。本当に好きな人のために「愛している」をとっておくことを学んだ。

 

わたしが「愛している」と答えないのに、彼はたくさん私に「愛している」と伝えてくれた。それは言葉のときもあったし、贈り物のときもあったし、あったかい手のひらのときもあったし、まなざしのときもあった。今まで「愛している」をちゃんと返してあげないと、水が足りない植物みたいに元気をなくしたり、去って行ったりする人ばかりだったけど、その人は違った。その人の「愛している」は、泉みたいに湧いていた。その愛情に浸かって一年が過ぎたころ、私の「愛している」は、彼のものになった。

 

ちなみに、かつて好きだった人への愛情は、友達として「慕っている」程度に過ぎなかったらしい。そんなことにも気がつかなかったなんて、私は本当に莫迦で、恋愛音痴だ。虚をつかれたというか拍子抜けだったというか、膝カックンを食らったような気分だった。あれは「愛している」じゃなかったんだ。

 

今は、「愛している」に少しずつ答えてみているけど、なかなかうまくいかない。言われたから答えるんじゃなくて、ちゃんと「愛している」をいいたい。「愛している」をただの返事にしないためには、わたしが先に言わないと意味がないのに、いつも先を越されてしまう。だったら早く言ってしまえというだけの話なんだけど、今伝えてもいいのか、もっと後で適したタイミングがあるのかな、なんて考えてしまって、いけない。受け取ってもらえなかったらどうしようとか、笑って済まされたらどうしようとか、いろいろ考えちゃって、もっと言えない。これまで出会った人がそうであったように、私も無意識に「愛している」のあとの「あなたは?」を痛いくらいに叫んでしまう。そんな「愛している」は、相手にとって重荷でしかないんじゃないか。なんて考えてしまって。

・・ほら、今日も言えない。

 

 

 言葉では言えない代わりに、頻繁に会ったり電話をしたり、会ったときにはぎゅっと手を握ったりして伝えているつもりだ。一年前のデートの話をしたり、もらったものを持ち歩いたり身につけたりすることもわたしなりの「愛している」の伝え方だ。気づいているだろうか、届いているだろうか。

 

 今までは、相手を喜ばせることばかり気にしていて、それが「愛している」だと思っていた。喜ぶ顔を見たいと思うこと、これも確かに愛情の一つだけれど、それだけじゃないらしい。例えば、その人のことをわかりたいと思い、それと同じくらい強く自分のことを知ってほしいと願うこと、音楽や本の趣味が混ざりあうこと、それが心地いいと感じること。肌が触れあって嬉しいと感じること。そこに性がなくても幸せを感じること。「愛している」をじっと見つめると、本当にいろんな顔をしている。

 

 

 愛している、は、ちゃんと伝わっているかしら。

 こんなことを心配してしまうのは、まだ相手を信じ切っていないからなのか、自分に自信がないからなのか。いまは恐る恐る差し出すことしかできないけど、いつかは相手も自分も、すべてくるんでしまう「愛している」を伝えてみたい。

 

 

 

The Love That Binds Us

The Love That Binds Us

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犬の話

犬派か猫派か、という問いがよくある。

 さして話したいこともないときに、こういう、どちらの方がいいかという話題に人は流れがちだ。ほかにも山派/海派かとか、きのこ派たけのこ派かとか。大人になってからは日本酒の甘口/辛口かという話にもよくなるし、私も好んでする。懐石料理とか食事と合わせるなら辛口のほうが好きだけれど、珍味を肴にお酒を楽しむんだったら断然甘口だな。初めて日本酒を飲んだのは長崎の一人旅のとき。中華街のはずれにある地元民しか行かないような古い蕎麦屋でのことだった。六十餘洲という長崎の地酒は、メロンみたいに甘くてびっくりした。

 

 お酒の話は、今はどうでもいい。今日は猫と犬について話がしたい。

 

 幼いころは猫に憧れがあった。猫を飼っている人とか猫そのものとか、生まれ変わったら猫になりたいと豪語する人とか、猫がモチーフのグッズとか、それらをたくさん持っている人とか‥そういう人に、うすぼんやりと憧れを抱いていた。たぶん、猫のクールさ気まぐれさ、あまり人に媚びないところなど、猫に対してどこか「かっこいい」というイメージを抱いていたせいだと思う。

 あと、大好きな作家が猫をとても魅力的に書いたことも影響している。竹下文子の「黒ねこサンゴロウ」シリーズは大人になってもたまに読み返すほど好きだ。きざでクールな主人公の黒ねこサンゴロウが大好きだった。村上春樹が、猫に触れたときのことをとてもすてきに書いているのを読んで、いいなあと思った。

 

『黒ねこサンゴロウ』うみねこ島の船乗りの冒険

『黒ねこサンゴロウ』うみねこ島の船乗りの冒険

  • 作者:竹下文子
  • 発売日: 2019/11/01
  • メディア: 単行本
 

 え?2019年にセットで販売していたの…!

 

 

 そんな憧憬とは裏腹に、悲しいかな、体質は猫を拒絶する。

熱海に行ったときに猫とじゃれていたら目が腫れてかゆくなってしまい母親に「金輪際猫と関わるな」と言われた。猫アレルギーだったのだ。だけど、ダメと言われると余計にうらやましくなる性質で、しばらく猫へのあこがれが心のどこかにあった。

 

そんなだったのだけど、成人してからは断然犬の方が魅力的と思うようになった。魅力に優劣をつけるわけではないけども、好みとしてやっぱ犬だな~と思うようになったのだ。

なんでだろう、突然文脈に「犬」がさしはさまるとひょうきんで和やかになる気がするのだ。例えば…何でもいいのだけど。

 

私は紅茶にミルクをいれながら、窓の外に目をやった。広場のようになっている中庭に、一匹の犬がいる。犬は日陰を探していた。尻尾を陽気に振りながら、ひとりきりだというのに笑ったように口を開けて、うすいピンク色の舌を出している。

 

 ここに出てくるのが猫だったら、和やかではあるがひょうきんではない。猫人間と一対一で対峙するのがとても上手な動物だ。もしここにいるのが猫だったら、と想像するととても静かな風景になったとおもう。だけどやっぱ犬がいいなあ、と思う。犬のあのあけっぴろげな「犬です!!!」という感じは遠目に眺めていてもにぎやかで愛らしい。

 

 

 私の家には一匹の小さな犬がいる。今年で16歳になるヨークシャーテリアだ。

 子犬の頃は父親の手のひらに全身がすっぽり覆われてしまうほど小さかった。成犬になっても2.5キロを超えることはなく、子犬のような姿のままだった。いつも散歩ですれ違う人に「何か月?」などと訊かれる。

 

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ぬいぐるみにまぎれている犬

 この犬にはいちおう血統書もついていて、両親は犬の競技大会で優勝する実績もあるくらい、いわゆる「いい犬」だ。本来だったらブリーダーのもとでレース用に育てられたのだろうが、神奈川の片田舎のペットショップに売り飛ばされたのは、生殖器の具合と、後ろ足の具合があまりよくなかったからだ。「あまり丈夫ではない」と店員に言われたが、家族のだれもが「そんなことはどうでもいいから飼う」と思った。それくらいその犬は可愛かった。

ペットショップのショーケースの隅っこで昏々と眠っていた、小さな犬。

本当に愛想のない犬で、餌もろくに食べないしほとんど眠っていた。私が9歳の頃から一緒にいるはずなのに、子犬の頃の犬との記憶があまりない。

 

一番幸せだったのは、やっぱり5歳から12歳くらいのことだろう。  

 ソファで丸まっているのを見ると、そのほやほやと温かいお腹に顔を埋めて、甘ったるいような少し獣くさいようなにおいを存分に嗅ぐのが好きだ。寒い冬、ソファに座っているとぴたっと体をくっつけてくることもある。彼は日向で昼寝をするのが好きなので、陽がよく入る私の部屋によく来る。私は彼に日が当たるように棚や荷物の位置を変えなくてはならなかったけど、それがまた楽しくて、嬉しい。

 

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わたしの部屋で日に当たる犬

 
 一緒にキャンプにも行った。ドッグランで自分の体の倍以上のトイプードルを巴投げにしたり、宙を飛んでいるボールに夢中になって走っていてフェンスに激突したりしていた。けっこうやんちゃだったけどコミュ障で、犬の友達は一人もいない。

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犬史上最高にうんざりした顔の犬

 

 この犬は、自分の餌はあまり食べないくせに人間の食べ物が大好きで、それに関してはほぼ害獣のような扱いになっていた。ローテーブルに乗っていたマシュマロが一袋消えて、下にいる犬のお腹が丸太のようにころんと丸くなっていたときには、心配を通り越して笑ってしまった。いただきもののシフォンケーキを玄関先に置いたままにしていたら、犬が紙袋を破り割いて1ホールを食べつくしていたこともある。お腹は例によってラグビーボールのようになっていた。ダイニングテーブルに乗って私のお弁当を食べていたこともある。「こら!!」と怒ると、何か一つくわえて逃げようとするのだから、あさましい。

 いずれにせよ全然満足そうじゃなく、普通に申し訳なさそうだったり、苦しそうにしているのがまたおかしい。どこまでもひょうきんでおとぼけで、愛くるしい。

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なんでも食べようとする犬

 最近年老いてきて目も見えなくおそらく耳もなかなか聞こえなくなってきた。のろのろと家じゅうを徘徊するように歩き、自分のトイレの場所ももう守れない。意味もなく鼻を鳴らし、虚空を見つめておやつをねだったりする。お座りを命じてももう首をかしげるばかりで指示通りには動かない。大きな眼をきょろきょろして、暇さえあれば「くーん」と鳴くか、ひたすら眠っている。

 その犬は、子犬の頃はよくボールを持ってきて「遊んで」とねだった。相手にしないときゃんきゃん吠えて、しまいには拗ねて寝てしまった。もうボールを認識することできないし、ボールをくわえることも彼はできない。投げたボールを持ってこなくなったのはもう一年前のことになるけど、それに気づいたとき私は犬を抱き上げて少し泣いた。やせていて、触ると骨の在り処が分かる体になっていた。

 

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私のベッドで眠る犬

 

 そんな老犬になって、ますますその犬がかわいくて愛おしいと思うようになった。特に好きなのは、水を飲んでいる姿だ。よたよたと思い出したように起き上がって、子犬の頃から使っている銀色のうつわからぴちぴちと水を飲む。踏ん張っている後ろ足がかわいい。小さい犬なので舌も小さく薄いから、殊更かわいい。

 目が見えなくなったため、自分の現在地が分からなくなって立ち止まっている姿も愛らしい。鳴き声一つ上げず、「ここは~どこなのだろう~ん~」と寝そうな表情でじっと考え込んでいるところを見つけると、助けずに眺めてしまう。目こそ見えないものの、人がそばにいる気配は感じるらしくて、しばらくすると見えていないはずの真っ白い目と視線があう。昔は抱っこを嫌がってすぐに逃げたけど、最近は進んで抱っこされるようになった。

 

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野菜を刻んでいる母を見ている犬

 

 犬が元気なころは本当に対等な友達のようなつもりでいた。蝶よ花よと愛でいつくしむでもなく、とりわけ懐いてほしいわけでも服従させたいわけでもなかった。可愛くも憎らしい弟のように接していた。かまれてもへっちゃらだったし、ロープの引っ張りっこも容赦しなかった。眠っているところを邪魔するのはしょっちゅうだったし、おやつを持っていると見せかけて遊ぶこともした。犬にとってはうんざりだったに違いない。

 そんな犬は私の中学時代と高校時代と大学・大学院生時代と社会人一年目の今、全てを知っている。人生で犬にしか話していないこともいくつかある。受験、卒論や修論、就職活動、大変な時はいつも犬を抱きしめていた。泣き言もいったし、思い切りお腹の匂いを吸って癒されたりしていた。犬にとってはうんざりだったに違いない。

 

 寄り添ってくれていたとか、見守ってくれていたとか、そういうまなざしをこの小さな犬からは感じたことは一切ないが、私はこの全然なつかない犬がとても好きだ。

 

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犬と私

 

  この犬は一生かけて私を完全な「犬派」に仕立て上げた。それはとても大きな仕事だ。それでも私は犬の魅力をすべてわかったわけではない。例えば、犬が突然話題に登場するとちょっと笑いを誘ってしまうのはなぜなのか、説明しきれない。なぜ老犬になった途端可愛さが増すのかも、コロコロ変わる表情の理由も。

 

犬はこれからも私の中で気になる存在であり続けるだろうな、と思う。

 

 

レインコートを着た犬 (中公文庫)

レインコートを着た犬 (中公文庫)

  • 作者:吉田 篤弘
  • 発売日: 2018/05/22
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れと春風と交差点

 3月に入って日が長くなってきたことが、ここ最近で一番うれしい。

 私は、午後の4時から5時にかけて日が暮れていく時間が好きだ。その時間帯をゆっくりと楽しむには、春と秋が最適だ。夏だとまだかまだかとじれったくなり、冬だと駆け足で通り過ぎていくその時間に追いつけず、また逃してしまったと悔しい思いをする。やはり、暖かい日が増えてきた春の初めか、長袖一枚では心もとないと感じるようになる秋口が、夕暮れの見ごろともいえる季節だと思う。

 そんな時分に帰路についている日というのは身も心も健やかで、足取りが軽い。小学生や中学生の下校時間と重なって、まちに子どもがあふれかえっている風景に出会えた日には何も言うことはない。

 昔の自分を見ているなつかしさはもちろん、自分が通っていた中学の制服を着ている生徒を見かけると、昔の自分を誰かが引き継いでいるような気持になり、何とも言えない。あの卵の殻の内側みたいな質感の白い壁と床の廊下とか、砂埃が舞う校庭とか、入っておいでと誘いかけるようなカーテンの中の陽だまりとか、あれらはまだ健在なのだろうかなんて、懐かしく思い出す。

 そして何よりも、あの自由奔放でずるがしこく、ときに生意気だが憎めない子どもという存在が、確かに社会の中で躍動している様子が垣間見えると、茫漠とした荒地に若葉が芽吹いたのを見つけたかのようで嬉しく、安心する。大人がいて、子どもがいて…そうそう、こうなっていたほうが、まちの風景はずっと豊かだ。

 

 最近、すごく楽しい子どもとの遭遇があった。

 バイト先から自転車で帰っていた日のことだった。大きな通りで4本の道路が入り組み複雑な信号の切り替えがある交差点で信号が青に変わるのを待っていたとき、ふいに子どもの絶叫が聞こえてきた。繰り返し同じトーンで何度も叫んでいる。よく聞いてみると、ひろきだかひとしだか、友達の名前を呼んでいるように聞こえる。背丈からして小学校中学年くらいだ。あまりに熱心に友達の名前を呼ぶあまり、変声期前のあどけない声はよく裏返った。遊んでいる途中にきっと、そのひろきだかひとしだかいう友達とはぐれてしまったのだろう。

 時刻は午後4時半、ゆっくりと夕暮れが忍び寄る頃だ。ちょうどそのくらいから雨が降るとその日の天気予報にもあったとおり、遠い空から夕暮れとはまた別の闇が迫ってきていた。春の湿気を含んだ暖かい風の匂いというのは、これまた名前を付けたいくらいノスタルジックで、記憶にはないけど遺伝子が覚えているみたいな類の匂いをしているものだが、この日もまさにそんな風が吹いている日だった。

 夕暮れと雨雲が同時に迫る交差点は不安定で独特の緊張感があった。そんな完璧にしつらえられた舞台に突如響く、少年の絶叫。そんな場面に遭遇したのだ。

 彼にとって、一緒に遊んでいた友達とはぐれるというのは、きっと大事件に違いない。あの年ならスマホを持っていないのかもしれない。彼らがどんな遊びをしていたか私は知らない。ただ、こんな不穏な夕方にはぐれてしまっては、心細いに違いない。もしかしたら、はぐれてしまったことに負い目を感じているのかもしれない。私は夕暮れと春風と交差点を介して、彼の心細さを一瞬共有した気がした。少年たちの物語に引き込まれてしまったみたいで、私はそれが妙に楽しく、嬉しかった。まるで、そういうフラッシュモブか演劇に巻き込まれたかのような気分で。

 もちろん彼らに声をかけることもなく、そのまま後を追うこともなく(どちらの行為も不審者と言われたら言い訳がたたない)、私はその交差点を渡り、彼らの不安を素通りした。素通りしてしまうくらい私はもう十分な大人で、彼のように誰かの名前を必死に呼んで探すことはないだろうと思いながら。世界の中心に自分がいて、すべてが劇的に見えていた幼少期を懐かしく思い出しながら。

 しばらく自転車を走らせると、小学生・中学生の私が歩いた通学路と重なる。あの頃は、自分が自分の世界の中心で、交差点を渡る他の大人のことなんか気にしなった。だけどその日私は、友達の名前を呼ぶ少年の世界を外側から眺めて、ああ、私って大人になったんだなと思った。今ではもう、自分が世界や物語の真ん中にいるとは思わないし、人目をはばからず声を枯らして人の名前を呼ぶなんてこともしない。ああ、大人になったんだな。そうして私は、子どもの頃の私と今の私は、地続きでありながら全然別の人間になったことを不意に悟った。

 

 夕暮れも春も交差点も、何かから何かへ渡るときの、ぼやっとかすんだ時空間である。そんな、境界が曖昧な風景の中を横切ったあの少年は、もしかしたら天使なのかもしれない。絵画によくある天使のように穏やかな表情ではなかったけれど、あの場面であの劇的な風景に人(私だけかもしれないけど)を引き込むのは、天使の仕業であるとしか思えない。

 かわいい子どもだから天使だとか、そういう安直なことではなく、風景を劇的にしたり、ふと思索に立ち返らせる存在こそが天使だと言いたいわけだが、そんな存在そのものが稀少であるうえ、彼らを見つける視力も徐々に衰えつつある。彼らが住まうことができる環境も、取り壊されている(もしあの少年がスマホをもって友達と連絡を取れていたら、天使はいなかったのだろうか?)。

 

 わたしの中の天使はとうに死に絶え、もう遺書とかちぎれた羽みたいなものしか手元に残っていないけれど、せめてこんな風に自分の日常生活を通過する天使を、少しでも多く見つけてみたい。そう思えば少しは緊張感と楽しみをもって生きられるんじゃないかと思うのだ。

 

 


3 Tempestoso(松本望:「天使のいる構図」より)

 

探していた物語


 小学校高学年から高校を卒業するまで、わたしは半分物語の中に浸りながら生きていた。今ではだいぶ現実が忙しくなり、物語を空想する機会が減ったけれど。

 読み返してみると、自分が好きなものだけかき集めただけあって、どれも悪くない。ストーリーは陳腐なものあるが、中学から高校にかけて書いたショートショートを集めたbouquetというシリーズは気に入っている。主人公の性格や属性がバラバラな恋愛ショートショートを集めたシリーズだ。大好きな友人がカバーをデザインしてプレゼントしてくれた宝物で、製本された状態で手元にある。

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下記はその中の物語に出てくる一部。

 

祭りの喧騒が遠ざかる。世界から離脱する感覚。今わたしをここにつなぎとめているのはたった一つ、君の手だけ。 

なんて頼りないことなんだろう、なんてドキドキすることなんだろう。

思っていても言わない。言葉にするのは、壁を作るのと同じこと。

ねえ、君、今どんな顔してるの。

 これは、お祭りの日に友達とはぐれた少女が好きな人と偶然会い、祭り会場から離れた公園で線香花火をするという話。

 

  はたまた、こんな文章もある。これは小鬼の少年が都の賑わいに心を惹かれて見物に来たのを、人間の少年が誘い出して一緒に街で遊ぶというワンシーンより。

 

差し出された月のように清く光る少年の手を、子鬼は恐る恐るとってみた。それは驚くほど、しんと冷たかった。

この話は、鬼、陰陽師、狩人の娘、狐憑きなどが出てくる物語で、中二病的モチーフをより集めたような構成がちょっぴり恥ずかしいけど、なんだかんだ好きな話だ。

 

 物語は、知らず知らずのうちに自分の欲求を映し出す。この頃私が書いていた物語には、自分が生きている世界にうんざりした主人公が、誰かに手を引かれて逃避するというモチーフがよく登場する。今こうして読み返してみると、授業中教師の目を盗んで書き溜めていたこれらの物語にわたしが閉じ込めていたのは、「誰かに手を引かれて日常から離脱したい」という願望だったのだと納得できる。

 

■■■

 24歳の誕生日、私は思いがけずその物語を体験することになった。

 ちょうど昨年の今頃から親交を深めてきた大好きな人がいる。今年の2月の頭に会った日に、私の誕生日を一緒に過ごそうと約束してくれた。「あなたの誕生日、俺にくれないかな」というその一言はきざなのに、照れ隠しのように笑って言うから全然カッコついてなくて、でもぎゅっと手を握って頼み込むほど真剣だった。そのちぐはぐさは、嘘がなく誠実だった。

 

 当日、東京駅で私の手をぐいぐい引く、有無を言わさない力強さを、私は忘れることができない。その足の先には新幹線の改札があって、思わず立ち止まる私に、彼は切符を差し出した。

 行先は新潟。

「さ、いくよ」

 彼は普通の改札を通るみたいにこともなげに改札を通っていく。ここを通ったら、私、新潟に行くんだ。

 突然の出来事になると、頭が働かなくなるというのは本当だった。嬉しいとかそういうの以前に、何が起きているのか分からない。胸の音だけうるさく、身体が熱い。

 その時の私には、新潟に行くという決心はついていなくて、改札の向こうで彼が待っているというだけで改札に切符を通した。改札に新幹線の切符を差し込んで通るとき、それは本当に、「現実から離脱する感覚」だった。改札を抜け、彼の手を取る。自動改札機の向こう側で、私をこの世界に繋ぎとめているのはその手だけだった。

 ああ、本当に、なんて頼りないんだろう。だけどその頼りなさは、心細さや不安とはまた違っていた。行った先に何があるかわからない。同居している両親に何も言っていない。準備も何もしていない。だけど、今手を繋いでいるこの人がいるなら何もかも大丈夫という気がした。彼の手だけしか拠り所がないこの「状況」が、頼りないだけで、彼自身はじゅうぶん頼りになる。それなら、彼の手だけを頼ればいいだけの話だ。言い換えればそれは、この2日間だけ、日常のなにもかもから自由になって恋をするということだった。

 

 ホームで買った駅弁と缶ビール、どんどん変わっていく車窓の景色、地方都市の駅のホームに滑り込む新幹線。新潟駅に到着してホームに降りると、暖房で火照った頬に、冷たい風が心地よかった。

 旅の間中、いろんな話をした。音楽の話、政治の話、噺家の話、家族の話等々。まだ親しくなりきれていなかった頃は、何をどう話していいか分からなかった。今では、話にちゃちゃを入れて見たり、わからないことを素直に聞いてみたりできるようになった。自分の話もできるようになった。楽しかった瞬間はたくさんあるけど、全部ここに書くのは野暮だから、とっておきは手元の日記帳にだけ書いてある。

 

■■■

 太平洋に面している海がある県に住んでいる私にとって、日本海はちょっと特別だ。2日目の朝、6時に起きて海辺に散歩に行った。太陽は街の方から昇った。町を見下ろす高さの坂の上から見上げた薄い紫色に染まる空と羊雲は、時間が許せばいつまでも見ていられただろう。

 浜辺へ降りると、海岸から海の上の遊歩道のように沖合にまで伸びている道があった。潮が満ちる時間は危険なためか、立入禁止の看板があったが、その道の先で普通に釣りをしている人がいたのでその看板の実効性はあまりないのだろう。

 彼はやすやすと看板を乗り越えて、手を差し出した。昨日東京の改札を抜けたときに似た決心がついて、私も看板を越えた。一人で来ていたら、絶対に入らなかった。線を越えたときにぎゅっと力がこもる掌が頼もしく、愛おしかった。私が、誰かから「だめだ」と言われて簡単に諦めるところを、彼は平然と乗り越えて先に行き、こっちへおいでと、私の手を取る。

 

 遊歩道へ一歩踏み入れると明らかに波の音が一層大きく聞こえ、その音に足がすくんだ。本能的な恐怖とはこのことだ。うねる波がとても粘着質に私の脚に絡みついて、そのまま私を海へ引きずり込むのではないかと思った。波は怖かったが、遠くで白波がきらっきらっと光っているのを見つけたら、だんだん気持ちが落ち着いた。全身に潮風を受け止めて、果てしなく広がる海を見つめていたら、こっちに来てよかったと思った。

 

■■■

 今までずっといい子でいて、良しとされる規範から逸脱することはなかった。その学生生活を後悔はしていないけれど、どこかでもっと違う世界を見たいとも思っていた。だから、誰かに連れ出される虚構の物語を、何度も何度も書いた。思春期の私が探していた物語を、今現実としてこの身体が受け取っている。

 私が書いた物語は、夢落ちや、それ以降二人が再会しないバッドエンドを迎える。だけどこの2日間は夢落ちではなかったし、私は時間をかけて彼にこの物語のお礼をしなくてはならないから、これからも彼に会い続ける。とても楽しみな日々が続く。

そうなんだ、ただひたすら、続けばいい。

まだ24年目の人生だ、結末を急ぐことはないだろう。

 

 

 


バイザラウンド - 12月に当然の事を言う

 

 

 

 

本の感想『革命前夜』

 

『革命前夜』須賀しのぶ

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舞台は東西分裂時代の東ドイツ。教科書のように正確なピアノの演奏を得意とする主人公マヤマシュウジがバッハの故郷へ留学し、そこで出会う音楽仲間との人間関係を描く青春小説です。

氷のように冷たい殻で心を閉ざしたオルガン奏者や、偏屈だけれど天才的な演奏で聴衆を魅了するバイオリニスト、いつも喧嘩腰のピアニスト、そのほか大勢の主人公を取り巻く魅力的なキャラクターにかこまれながら、主人公は東西分裂時代の東ドイツで翻弄されます。
心優しい主人公は留学生という余所者の身分でありながら、その社会にいる人たちに音楽を通して共感し、力になろうと努力していました。そう、彼らを繋いでいたのは音楽、なんですよね。愛憎入り混じる感情をお互いに抱きながら、それでも相手の演奏に惚れ込んだり、まるで花束を渡すように楽譜を託したり、高らかな宣言の代わりに演奏会に招待したり。彼らのコミュニケーションをみていると、演奏や音楽は言葉以外で気持ちを伝達する役割を持つことが、よく分かりました。
彼らは音楽を通した交感で心を開いたり、またある時は相手を打ちのめすようなことをしていました。音楽が言外に秘めている力というか、その説得力が凄まじい。

それを描くには、一人ひとりのキャラクターを明らかにすることは必須だし、ある環境の中で音楽がどのように扱われるか、響くかということをかなり意識的に配置しないと伝えきれないことだと思います。この小説はその塩梅が、私にとってはとてもおもしろく読めるものでした。
彼らを取り巻く社会状況は、1960年代の東ドイツです。市民相互が監視し合う、気持ち悪い緊張感が常に付き纏う社会であったことが、登場人物の過去を通じて生々しく描かれます。その冷たい社会の風景は、ある種ディストピア小説のようですが、これはかつて現実にあったこと。このような社会の中で、音楽がどれほど人々の安らぎであったか。また一方で、政治的な役割を背負わされてしまうものであったかを考えました。


革命の萌芽が至るとこで見られて、社会が音を立てて崩壊(ある意味解放)していく中で、主人公は友人の亡命やライバルの致命的な怪我など、様々な事件に遭遇します。物語の後半、主人公が想いを寄せるオルガニストの過去が明らかになるあたりからの急展開はジェットコースターみたいでした。遠慮がちで鬱々としていた主人公が、泣いたり怒ったり大忙しで。周囲のキャラクターの動きも相まって、あー!えー!うそ!という気持ちにさせながら、物語はベルリンの壁崩壊へ。

結末は全てがハッピーエンドというわけではありませんでした。だけど確かな、もしかしたら一番欲しかったけど予想していなかったプレゼントを、主人公も読者も受け取ることになります。


こんな素晴らしい世界を想像させてくれるのは、筆者の巧みな文体に他なりません。クラシック音楽を思わせる格式高い文体のところもあれば、主人公や他の登場人物の心のゆらぎを丁寧に描く一人称の文体は、巧妙なバランスを保っていました。 


音楽を描写する文章は、本当に音楽が聞こえてきそうなほど。いや、言葉による音楽の描写を通して、絵画のような風景、あるいは味覚や心臓をドンと突かれるような身体への衝撃などを感じた、と言った方が正しいかもしれません。五感をフルに活用しての読書は、一つの確かな「経験」になってお腹の中に沈んでいくようでした。

 

というわけで、『革命前夜』。
とっても楽しい時間でした。

 

諦めること

 

生きて踊ろう、僕らずっと独りだと諦め進もう

1人歌おう、悲しみの向こう 全ての歌で手を繋ごう

生きて抱き合おう、いつかそれぞれの愛を重ねられるように

 

紅白歌合戦星野源が披露したパフォーマンス「うちで踊ろう(大晦日)フルバージョン」は、すっかりいじけてしまった2020年の私に気持ちよく別れを告げさせてくれた。

https://youtu.be/j3q1V3QHSU4

 

「みんなで頑張ろう」「みんなで我慢しよう」「みんなで協力すれば乗り越えられる」、そんなメッセージばかりが発せられた2020年。星野源の「うちで踊ろう」がSNSで流行し始めたころは、そのバリエーションに過ぎないと思っていた。「うちで踊ろう」を初めて聞いたときは、そんな歌で慰められても自粛期間がつらいことに変わりはなく、何の支えにもならないと思っていた。その曲を聞いて楽しい歌で前を向ける気分では到底なく、踊れるわけないと両足を抱え込んで部屋の隅でうずくまっていた。

 しかし紅白でのパフォーマンスで星野は「みんな」をあっさり棄却し、「独り」を選ぶ。「諦め」という言葉がこんなに清々しく、ほっとするような意味で使われることに驚いた。きっと多くの人が安心させられたのではないかと思う。わたしは星野源のファンではないが、「みんなで我慢」するのではなく、「独りだと諦める」方向を提案してくれたこの曲には感謝している。

 

 最近、重度の胃腸炎にかかり(これを書いている今もどんよりとおもだるい下腹部にいつ雷のような激痛が走るか戦々恐々としている)、数日寝込んでいた。昔から体は丈夫な方だったし、数日間寝込まなければ体がつらいという不調とは無縁で生きてきたのに、情けない。痛むお腹を抱えてうずくまりながら、今後一切こんなことで苦しまないよう生活を節制しようと誓いを立てると同時に、そのために我慢しなければならないことがたくさんある、と思うと鬱々とした。どんなにおいしくても食べ過ぎないよう我慢したり、どんなに楽しい席でも飲みすぎないようにしたり、夜更かしをしないよう我慢したり・・・。などなど。

そう思いを巡らせているとき、自分が、我慢、我慢とばかり思っていることに気付いた。少し立ち止まると、それは人間の自然な生命の流れに抵抗することのように思えた。

  これからどんどん体は衰えて、いろんなことをあきらめなくてはならなくなるだろう。加齢とともに消化機能が落ち、食べられる料理や量が限られてきたという話はよく聞く。体力も落ちる一方だから、8時間も9時間も座って鈍行で移動する青春18きっぷの旅もできなくなるだろう。いつか目も見えなくなって、本を読むのも苦労するようになるだろうし、自分の脚だけでは立てなくなる日も来る。

そうならないよう日頃から十分ケアすることは大切だが、本当に無理になったときには、素直に諦めるのが得策かもしれない。

 子どもの頃は身軽で何も持っていないから、とにかくたくさん得るために何事も「挑戦!」「諦めない!」が美徳とされているが、大人になったらそうじゃない。ある程度大人になって、両手に抱えた荷物(財産、技術、人間関係、多くの経験と知識)が増えたら、次は手放すこと―諦めることを覚えたほうが、素直に生きられるだろう。

 と、考えると諦めることは挫折や断念なのではなく、自分の限界や向き不向きを見極めることだともいえる。実際に仏教には「諦念」の概念があり、それは「物事の本質を見極め、諦めること」であり、「諦」という字には「物事の真理を明らかにする」という意味があるそうだ。

 

 

生きて踊ろう、僕らずっと独りだと諦め進もう

 

高度に成熟した社会、誰とでもすぐ繋がれる発達した情報技術、人とのコミュニケーションやつながりを重視するサービスの数々。それらに埋もれて見えなくなっていた事実―僕らはずっと独りなのだ。

それは、新型感染症の拡大という同じ危機にさらされた人々が取ったリアクションの多様さに、まざまざと表れている。本当に社会の連帯が取れていて、「独り」の人がいなかったら、もっとヒステリックに同じ方向に突っ走っていたことだろう。戦時中がそうであったように。

 独りだと諦めて進むのは、連帯や協力を拒否することではなく、人がそれぞれの立場で考え行動しているのに対して、実体のない「みんな」の言葉を借りて個人の正義を強いるのをやめることだ。それはこのコロナの状況下においてのみ言えることではなく、成熟社会をしなやかに生きる人間の生き方として重要な「諦念」だ。

 もちろんみんなが諦めてしまう必要はない。分かり合えるはずと思って説得し続ける人の熱量には惹かれるし、鬼滅の刃みたいに長男的価値観や純粋で優しい正義を改めて愛でる一大ブームが巻き起こっても面白い。

 

 ともあれ、数日間に及ぶ腹痛がもたらした「諦め」の感情は、私がこの苦痛の中から拾い上げた希望なので、大事にしたい。まずは自分のことから諦めることからはじめよう。経験や夢を一つずつ、標本箱に収めるように。それは今まで確かに手元にあったもの。追いかけなくなったからといって、失うわけではないのだと思う。