恋だの愛だの

 

 

 

自粛期間空虚に過ごす中で、何に対しても興味を失っていった。5月ごろだったと思うけど、あの時が一番しんどかった。

私はとても人が好きだし、人を好きになるために生きているし、人間関係をはじめたらいずれその人を好きになることがゴールだと思って接する。あわよくば私のことも好きになってほしいし、虜にしたい気持ちだって無きにしも非ず。

そんな無類の人たらしであるが故、「人と会うな!」という自粛期間は、本当に苦しいものだった。この「人を好きになりた~い!仲良くなりた~い!」という気持ちを、面接官にしか向けることができなかった(筆者は絶賛就活中である)。

 

なんでこんなに人が好きなのか、今まで自分は考えたこともなかった。

というかこれが普通だと思っていたんだけどだんだん「あら?これは人と違うのでは?」と感じ始めたのだが、実のところどうなのだろう。

高校生の頃は死ぬほど人が嫌いだったし、好きな人の幅は超狭かった。

恋愛対象として好きな人はいなかった。同じ部活の女の子たちしか信用していなかった。

それ以外はほぼ敵とみなしていて、クラスでできた友達はいなかった。移動教室はあたりまえに一人だし、ペアつくるタイプの授業とか悲惨で思い出したくもない。

というか思い出せないから多分、辛すぎてなかったことになってる。

 

そんなこんなで人付き合いに自信が皆無だったわけだが、どういうわけか今では人が大好きだ。それは大学の社会学の授業で、質的調査という調査方法に出会ったことが大きなきっかけだったのではないかと思う。

簡単に言うとインタビュー調査のことで、人に話を聞く調査手法のことだ。わたし自身もそれを使ってちょっとだけ調査めいたことをやってみたりもした。出会う人たちはそれはそれは豊かに自分のフィールドについて語ってくださる。その瞬間の人というのは真剣できらっとしていて、とても美しかった。

 

教授も同じだ。とても偏屈で頑固そうな教授が、自分の好きな専門分野のことについて話している姿は、それはそれはセクシーだった。教員になりたての教授なんかは教えたいことが山ほどある感じで隙あらばいろんな概念を引きずり出してきたけど、そういう知的な自慢を聞いているのも嫌じゃなかった。

(でも逆にこっちの要望を聞こうとしてくるタイプの教授にはあまり惹かれなかったな。)

 

大学2年生の時にギャラリーに頻繁に通っていた頃、たくさんのアーティストに出会った。彼らは好奇心にいつもキラキラしていた。

話しかけると、自分の作品のことについて語ったり語ってくれなかったりして、そんなミステリアスさもまとめて大好きになった。みんな、独自の知性に従ってマップを編んでいるかのようで、私はいつもそういう話を聞くのが好きでたまらなかった。

彼らに共通しているのは人に見せるものについて真剣に考えていること、自分がその表現をする必然性をかみしめているところ。言葉少ななアーティストもたくさんいた。でも、作品のメンテナンスとかしているまなざしが真剣でそれはそれはセクシーだった。

 

私はこういう人たちから「その人にしか語り得ない物語」を聞くのが好きだったのだ。

 

当然のことながら、人は全員歩んできた人生が違うから、どんな人も「その人にしか語り得ない物語」を持っている。そんな話をするときの人は飛び切りチャーミングで、「唯一無二感」がして無敵だ。そんな人の姿に私はころんと惚れ込んでしまう。

高校まではなんとなく学校制度の中で生かされていて、自分を客体化して話す機会がなかったから、「自分の物語」を語れる人がいなかっただけなのだろう。きっと今あったら楽しい人たちばかりだろうとも思う。

 

ちなみに好きになるといったって、みんながみんな恋愛対象になるわけではもちろんなく、単に一緒にいて居心地がいいとか、その人を見てわくわくするとか、声だけ好きとか、そういうことも全部「好き」に含んでしまう。相手の、何かきらっと光るところを捕まえたなら、私にとってそれはその人を「好きになった」ことになる。その「好き」に男の子も女の子もあまり関係ない。

 

ツイッターを見てくれてる人から「大人の恋愛してるんだと思ってました」とか「恋多き女って感じ」などというありがたーい感想をいただくことがある。もしかしたらそうかもしれないし、そうではないかもしれない。博愛主義。ヒューマニスト。人たらし。…ポリアモリーに到達するまではまだちょっと器が足らない。

とはいえ私の人付き合いのベースには「惚れこむこと」という大きなテーマがあるというのは事実。見方によってはそれは常に恋をしているようにも見えるかもしれない。

 

こんな私の態度が一体何人を困らせたかわからない。魔性と言いたいわけじゃないんだけど、心当たりのある方々、本当にごめんなさいね。こういう人付き合いの仕方は同時に痛みを伴うものでもあったことを、今ではちょっと反省している。

 

けどまあ…

もっと恋だの愛だのから自由になりたい世の中になってきたんじゃないかしら。

 

 

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久しぶりのブログ。

自粛期間、始まってすぐはしんどかったけどだいぶ慣れてもう一周回った感がある今日この頃。これからまた感染者が増えても「ああまたかー」ってやり過ごせそう。4月8日で止まった学生定期だけちょっと悲しいっていうか、「アー学生の特権不意にしたあ」って感じでげんなりだけど、でも今はほんとそれだけ。

 

別にこのブログ何かに向かって書いてるってわけでもないんだけど、想定できる読者様が何名かいる手前、ちょっと書きづらくなってきた。

…が!ブログなんて恥を売ってこそでは?と囁く自分も居たりして。

なんかまあそういうものとして以後お見知りおきを。と吹っ切れました。