■目覚ましで起きられなかった だめな朝の コーヒーが今日の私を生かす
7時半に設定しているはずの目覚まし時計が、ついに消した記憶もないのに消えているという事態になってきた。そろそろ自分の怠惰を見直したいが、だめだ。あきらめながら、燦燦と日が差す部屋をコーヒーの香りで満たす。一瞬だけ幸せな気持ちになって、そのあとすぐコーヒーの苦みに叱られる。カフェインが目を覚ましてくれるというよりも、この香りとルーティンによって私は目覚めているのだと思う。
■君の部屋が好きだよ 壁のポスターも葉っぱの名前もぜんぶ覚えるね
友達の部屋の趣味がよすぎてたまらず、写真を撮った。公営住宅のような見た目と間取りだが、その友達の恐るべきセンスで、すてきな空間に生まれ変わっている。かっこいい写真集や可愛い色のポスターが壁にかかっている。ベッドがないから毎日布団を敷いて寝ているんだといった。そういう君の丁寧でまめなところが、このすてきな部屋を作っているんだね。10年かけて育てた部屋はもう、作品というべきだ。「今日は富士山がきれいだよ」。カーテンを開けた君が嬉しそうだ。真っ白い雪をかぶった富士山のてっぺんだけが、乾いた冬の空にくっきり浮かぶ。ずっとここにいたいと思った。ずっと君といたいと思った。
■帰ろうとするわたしを抱きとめるみたいな あなたの香りを盗んだ服だ
映画が終わって、ぼろぼろこぼれる涙を拭きながら立ち上がったら、その日おろしたばかりのニットにあなたの香水の香りが移っていた。あまりにいい香りだったから私が覚えすぎていたのでしょうか、それとも本当にそばにいただけで移ってしまったのでしょうか。正気に戻ったころには町のにおいに紛れてしまうだろうと思っていました。でも、歩いても、歩いても、その香りは追いかけてきた。ああ、だめだ。映画のせいで涙腺が緩んでいるみたいだ。もう会わないのにね、もう会わないのにね。泣きじゃくって乗る終電、薄れゆく香りの裾を「待って」と握る。
■背を割って羽化した翅に一粒の さなぎのわたしを愛した涙
蝶々、ずっと葉っぱにへばりついていた人生から、背中に新しく羽が生えて宙を舞うことができる人生に変わるなんて、きっと生まれたときは知らなかったでしょう。蝶々、あなたに聞いてみたい。その細い足で自分の殻に止まっているのは心細くてたまらなかったでしょう。でもあなたはその翅の動かし方を、向かうべき花の香りを、ずっと昔から知っているみたいに、当たり前に飛んで行く。あなたがうらやましいのです。遺伝子が教えてくれることがあるのなら、私にだってそのときは訪れるのではないか。どこからか聞こえるものなの?それとも、勝手に体が動くのでしょうか。
自分でも、自分の変化に説明がつかない。蝶々、あなたもそうだったのですか。
どうか教えて、わたしは変わるべきですか。あなたのように。
■大勢の馬鹿に愛され 永遠にひとりきりだね よい人生だね
たくさんの友達がいる人生と、たった一人の伴侶がいる人生だったら、私はたくさんの友達がいる人生を選びたい。好きなときに好きな人に会いたい、何のしがらみもなく透明でいたい、誰のものにもなりたくない。かつて私に「一人にしないよ」と言った人のそばにいたって、私は結局孤独になった。どうせ孤独になるのなら、最初から期待しない。
今この1時間、今この2時間、今日、この夜、楽しく温かく過ごしたいだけで、ほかにはなんにもいらない。今日も幸せだと安心する自分がいる一方で、「だけどこれは本当に一瞬のぬくもりだよ」と冷たく笑う自分もいる。
わかっているよ、だから永遠に一人きりであることをそっと覚悟する。
かがみのように冷たい決意だ。誰にも分からなくて、分かってたまるか。
■夢の瀬戸際 人であることを忘れ 鳴き声のように君の名を呼ぶ
寂しくて鼻を鳴らす犬の気持ちが、あなたのそばで眠った朝に分かってしまった。「寂しさ」や「甘え」という名前がつく前に、それはもう私の口からこぼれている。この感情が選んだのが、あなたの名前だった。こんなふうに素直に、脳みそを通らずに誰かの名前をよぶことができる日を、生まれたときから待っていた。
この深い孤独に、立ち入るわけでもなく埋めようとするわけでもなく、ただそのままを眺めてくれたまなざしの、なんてあたたかいことだろう。
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誰かと一緒にいたいと思う自分と、人は永遠に一人だと思う自分が同居している。それは矛盾しているようで、実はちゃんと筋が通っているようにも見える。
一人で生きられるようになって初めて、誰かといることを選べるのではないかと思う。相手を引き受ける適切な隙間、相手を引き受けられる感情的な体力と筋力、そして相手を引っ張りすぎないよう自分を保っていられる精神の強さ。これらは完ぺきに「一人でいること」ができるようになって初めて習得できる「つよさ」のではないか。
不安なことがあった。私は変わってゆくから、というか人はみな変わってゆくから、物事に対する好き嫌いは水の流れのように、風景のように変わっていく。でもそんなことを言っていたらわたしは一生ひとりぼっちで、移り変わる世界や感情にうかうかしているだけの、からっぽな人間になってしまうのではないかと思って怖い。
…そう話した私の言葉は、自分でも驚くほど素直だった。話を聞いてくれたその人は少し考えて、「それは自分に期待しすぎだよ」と笑った。
「『今、好き』の積み重ねが『ずっと好き』になるんだよ」。
ここにあるの多くはフィクションで、すべてが私の経験ではありません。
ですが、私が共感できるようにしか書いていません。