淡々かつ粛々とこなす日々を「元気だよ」と言う。

 

3月。学生だった時よりも、その季節特別に感じない。

私はもう何からも卒業しないし、どこへも入学しない。今まで、ぼーっとしてても着々と日々は進んでいたのは、学生という管理された身分だったからであって、本当は私は何一つ日々をこなしていなかったのではないかと不安になった。

だから、今年の春は、今や私の寂寥感と焦燥感が形になった怪物のような姿で私の前に現れて、今、私を不安にさせている。こんなに気持ちの晴れない春は初めてかもしれない。

毎年のことだけれど、冬の寒さで委縮した肩を、やんわりともみほぐしてくれる春風のせいで、春は何となく開放的な気分になる。体が自由に動くというだけで、底知れない全能感。このせいで、うかつにいろんなことに手を出したくなるのだけれど、実はそれは罠なんじゃないかと思い始めた。どうして暖かくなってすこしきれいな花々が咲くからといって、よい季節と言えるの?

 

うわついた風に誘われ咲くのか桜さまざまな夢の罠

 

 

 

 仕事が忙しくて、言葉と向きあう時間が減った。もっといろんな言葉で表現したいのに、今はそれができないことがすごく苦しい。今、私の中は「やらなきゃいけないこと」でぎちぎちになっていて、一つも言葉を響かせる隙がない。たとえるなら、中に毛布を詰められたクラシックギターみたいな感じだ。弦にゴムをまかれたピアノ、綿を詰められたトランペットともいえる。中身がぎゅうぎゅうに詰まってて、少しも、言葉や感性を働かせる余地がないということ。私が奏でる音楽がないということ。はあ、こんな不器用な文章、いったい誰が楽しんでくれるというんだろう。悲しい、悲しい。

 最近は、仕事をするための言葉ばかり思えようと必死だ。言葉は厄介で、あまりに丁寧に伝えようとすると仕事のスピードは落ちるし、かといって便利な言い回しだけを覚えて使っていると、その仕事を自分がやる意味を見出せなくて、失望してしまう。社会人ボットのように同じ言葉を繰り返すのは、バカみたいで何よりもいやだ。

 

六十匹の狐の歯とともに 眠る王を夢みて3時

 

満ち足りた気持ちになるからセブン・イレブンのたまご蒸しパン ほぼ満月です

 

 

 2月は誕生日もあったのに休みは1日しかなかったし、最悪の月だった。誕生日だって、好きな人と会えると思ったら好きな人もちょうど忙しい時期で、結局会えなかった。そのあとも一向に連絡がないから、彼はもう私のことを忘れたか、どうでもよくなったのかもしれない。新しく恋人ができたのかもしれないし、仕事で忙しいのかもしれない。憶測は、止まらない血のように流れ続けて、私を疲弊させる。

 そんなこんなで一日に数回、彼のことを思い出しては寂しくなることを3週間も繰り返しているうちに、その思い出は懐かしくなりはじめた。最初は思い出すたびに落ち込んでいたけれど、何度も撫でていると愛着がわくものだ。石を磨いているみたいに思い出を磨く。いずれすべての角が落ちて丸くなって、キラキラと輝くだろう。…そう思ったら、全然連絡をよこさない、つれない私の好きな人のことも、許せる気がした。いや、「許せる」なんていうのも本当はおこがましい話なのだが。

 もともと本気でなれ合うつもりも、やりあうつもりもなかった。「付き合わなくてもたのしく過ごせたら、それでいいんじゃないのかな」。なみなみと注がれたハイボールの乾杯とともに交わしたやり取りの中の彼の言葉が、全ての答えなのである。私は、次第に彼のその答えが間違っていることに気づくだろう。いや正しくは、私が彼の器には収まりきらなくなるだろう。今までだってそうだった、そうやって馬鹿な恋を続けてきたのだ、のらりくらりと。

 

願っていてもいいかな あなたの掌が私の頬を覚えているよう

 

忘れたよ、忘れてやるよ君なんて 枯れた花と治った傷跡

 

君じゃなきゃダメなこともあるけれど 君じゃないならどうでもいいや

 

変わらない君の愛が好きだけど変わる君のすべてはもっと好きだよ