【感想】『箱の中の羊』

 

是枝裕和監督の最新作『箱の中の羊』を観た。
あまりにも好きな監督の作品なので、感想を忘れないうちにしたためておく。

血のつながりに拠らない家族の在り方を描き続けてきた是枝監督のテーマは今作も健在でありながら、今までの作品と異なったのは、その世界が「未来」であること。
是枝監督といえば、生活感のあふれた、どことなくなつかしさを感じさせる撮影セットが多い。
『誰も知らない』の狭いアパートの部屋、『歩いても、歩いても』の古民家、『怪物』に登場する校舎。韓国を舞台にした『ベイビーブローカー』でさえ、韓国的なつかしみをのぞき見たような心地がした。
ところが今作『箱の中の羊』では、多くの人が共通して持っていそうな、なつかしみ(散らかった部屋とか、くたくたの布とか、薄暗い玄関とか)はほとんどそぎ落とされ、代わりに、見たこともない間取りの家(実在するガチ物件らしいが)、ドローンによる郵便システム、そして故人のヒューマノイド…という、なじみのない社会が舞台となっている。
鑑賞者のエモに頼らない映像は、今までの見心地とは全然違って新しく、よかったと思う。
(監督は意図していなかったとは思うけど)
・・・是枝狂のようで恥ずかしいが、監督はドキュメンタリーの制作がもともとのご経験としてあり、広くとらえれば業界的には先輩にあたるので大きなリスペクトがある。
著書を読んだり、インタビューを見る限り、日常の何気なさを切り取る視点や、自然なやり取りを生むための制作手法が面白くて、ああ、そういう現場で働いてみたいな~と思ったこともある。憧れなのである。
働いたことあるよって人がいたらこっそり教えてください。

と、私の是枝リスペクトはさておいて。

ただ、未来にまで心地よさとか、てざわりを感じさせるセットや映像には、ああやっぱり、是枝さんの描く家族が好きだなと思わざるを得なかった。
そこでいい雰囲気をつくり出していたのが、甲本健介役・大悟(千鳥)だったのかなあと思う。
一人称はワシのまま、あの特徴のある訛りとつっけんどんなしゃべりの中に、不器用な父親らしさがにじんでいる。
いくつもの冠番組を持っている彼に、台本を覚える時間あるのかななんて心配こそしたが、発する言葉も短く、どちらかというと自然な身振りや表情のほうが目を引いた。
健介は、ヒューマノイドを受け入れることに最初から否定的であるが、いざ亡き息子そっくりのヒューマノイドを前にすると、かつての父親の顔が現れてしまう。
虚構と分かっていても心が動いてしまう、その感情の揺れを、こんなにも繊細に表現されるとは。
妻音々(綾瀬はるか)とのやり取りは微笑ましく、ヒューマノイドの翔(桒木里夢)とのやや距離のある会話もリアルだ。
ヒューマノイドという題材は、未来っぽくなりすぎて鑑賞者をおいてけぼりにするほど、
ときに無機質になってしまうこともあるが、そうはさせないのが是枝マジック。
気持ちの想像を導くせりふ回しと、演者の表情や余白の部分でついていける。
「新しいものと、懐かしいもの。全く異なるものを融合させる…だから楽しいんだな、映画監督って」ってところだろうか。独特の世界観を作り出す、すばらしいキャスティングだったように思う。

音々が建築家、健介が工務店の社長という設定も相まって、作中では建築をめぐる会話が頻発する。
彼らが暮らす変わった間取りの部屋にも、ずっと心地良さが漂っている。中庭を囲うように部屋が配置され、窓は大きく、玄関や中庭には植物が茂って、風通しもよさそうだった。
ヒューマノイドは、人間の親が教えられるものの範囲をはるかに超えて学んでゆくが、
一緒に暮らす人間の影響を少なからず受ける。
ヒューマノイド翔も、健介や音々の仕事見て、自分が暮らす家を構想するようになる。中盤、音々とヒューマノイド翔が、同じように模型を作る表情が交互に映される印象深いシーンがあるのだが、二人の真剣な表情がとっても素敵で良かった。

母親に甘えたり、相談したり、その姿を見習ったり。そんな関係性は、たとえヒューマノイドといえども母子と変わらないように見えた。血以外に家族をつなぐものがあるとしたら、それは言葉だったり、日々の身振りだったり、哲学だったり・・・なのかもしれないなと思う。
血がつながっていないのに、これを親子と呼ばず何と呼ぶの?と、是枝作品は毎回どこかで思わせてくれるが、今回それをいちばん強く感じた場面だった。

 

さて。タイトルの『箱の中の羊』は、『星の王子様』に登場する羊のことを指している。
王子さまに羊の絵を描いてと頼まれた主人公は、描くたびに難癖をつけられるものだから、
とうとう、てきとうな箱の絵をかいて「その中に羊がいる」と言って、王子さまを突き放そうとするくだりがある。
どんな羊なのか、それは受け取った相手の想像の中にいる、という、ある種の頓智のような寓話だ。
監督をはじめ、制作陣がタイトルに込めた思いは計り知れないところがあるが、箱の中身(未知)を想像すること、というのは言わずもがなであるとして、箱の内側と外側、という視点に強く心を惹かれた。

夫婦は途中から、ヒューマノイド翔を、亡き息子の代わりではなく、
ヒューマノイドとしての特性を受け入れたうえで、全く別の子どもとして受け入れようと合意する。
(この合意形成の過程もいいんだよな~。言わなくてもわかることがあるよね夫婦って…みたいな、そういう空気感が漂っていて…セリフで作り上げない感がリアル夫婦感…)
「人工知能をどう受け入れるか」という価値観の違いはここで一旦解決され、
映画はここで終わってもいいように感じられるが、これが一般的な目線、つまり箱の外側に居る者の目線だ。

私たちは人工知能について話すとき、それを外側から観察する立場に自分を置きがちだが、人工知能の側から見れば、私たち人間のほうが理解しがたい存在で、想像や観察の対象なのだ。
ヒューマノイド翔の言動を見ていると、ふとそんなことを考えてしまい、「箱の中にいたのは私だったんだ」という音々の言葉に、はああ…と、いとも簡単に胸を打たれた。いいシーンだった。
(いとも簡単に、というのは、その言葉がなんの抵抗もなくスッと入ってきたという意味。)
こんなふうに、足元からずるりと世界観を塗り替えられてしまうような…古い言葉ではコペルニクス的転回というけれども、そういうのが感じられて観てよかったなあ、と。
思ったことなかったことを思わせてくれる映画っていいなと思うんだよなあ。
それも、日常のすぐそばの、ああ気づかなかったなあというところに転がっていることを。

相容れるのかいれないのか、とか。すんなり受け入れられるところと、そうでないところと。
そして、こんな世界もあるかもしれないなという想像と。
なんとも「新触感グミ」みたいな不思議な観心地(みごこち)がずっと続いた。

これら以外にも語るべきポイントはいっぱいある映画で、
虐待の話も建築の話も、亡くなった命との向き合い方とかの話も。。。
観る人によって刺さる部分は様々だな~と思いました。

そんでこっからは半分妄想で、ややメタっぽい視点で考えたこと。
なんか…キーワードになりそうなセリフの多さとか、是枝監督にしては「言わせた感」のあるセリフが多かったのが気になっている。これは前作『怪物』をともに作り上げた作家坂元裕二の影響を感じた。坂元裕二の脚本ときたら、そっくりそのまま名言集になりそうなほど、パンチラインだらけですからね…
それから、自立を目指すヒューマノイド翔を見て、音々がぽつりとつぶやく「捨てられたんだよね、わたしたち」という言葉は、坂本作品の中でも名作「mother」で主人公奈緒が被虐待児の怜南にかける言葉「あなたは捨てられたんじゃない。あなたが親を捨てるの」という言葉を思い出させたりとかもして。
音楽は、坂本作品『大豆田とわ子と3人の元夫』の坂東祐大さんですし(めっちゃよかった)。
本当に意識してるとかどうかはどうでもいいとして、今も仲良くしてるんかな~。
前作に登場した柊木陽太さんも元気な(?)姿を見せてくれました。

見返したくなる映画やドラマがいっぱいできた。

楽しかったです。

ハイボールを飲みながら

「ずっと前から考えていたことが形になっただけ」

彼女は、氷がたっぷりと入った薄いグラスに琥珀色のウイスキーを注ぎ入れた。

これ、お父さんが買った桜尾の特別なやつ。彼女はそういって視線をグラスに向けたまま、口元に満足げな笑みを浮かべていた。今まで、そんな笑い方をしなかった。穏やかな悪だくみ。

彼女は膝を折りたたみソファのへりにかかとを乗せた格好で、ぽつぽつ話し始めた。

「ほんとうに、まじりっけのない気持ちで私を愛してくれていた。熱いくらい、痛いくらい」

 せっかく注いだ酒には口をつけず、ただつんとウイスキーの香りだけが香ってくる。彼女は、白く結露したグラスの側面をそっと撫でた。そして、卵のような曲面を手のひらになじませて揺らす。

 カラコロ、氷がぶつかる音がする。人と話す言葉が見つからないときに、彼女がよくやる癖だった。アイスティーの氷をかき回したり、無意味にグラスを揺らしたり。こういった彼女の仕草を、おそらく彼女の元交際相手はよく見ていたことだろう。つい先日、彼女が別れ話を切り出そうとしたときも、同じような仕草を見たに違いない。

 私は、彼女の次の言葉を黙って待った。すごく長い時間が過ぎた。

「その愛情は、私を愛してくれるのが半分と、私を手に入れて安心したい気持ちが半分とで。だんだん、私を手に入れて安心したい気持ちを強く感じるようになったから、怖くなったの。私は、手に入れられようとされると途端にすべてが嫌になる」

 彼女は昔からそうだった。表面上、言うことは素直に聞くが、心の底ではいつも逃げ道や別の選択肢を考える癖があった。彼女をとらえようとすればするほどその輪郭はぼやける。捕手の気配を察知すると、水のように様態変えてしまうのだ。「いれもの」に入れられることを極度に嫌い、自分を形容する言葉に一つも納得しない。

 ウイスキーの香りが周囲になじんできたころ、彼女はグラスの半分までそれを飲みすすめた。目は瞑想的にぼんやりとしていた。表情こそないものの、頬は適度に緩み、人格が一つ抜け出ていったような顔をしている。その抜け出ていった人格は、おそらく元交際相手のためにあつらえた「良い彼女」の人格だろう。

「なぜ、人と一緒になれば自分の人生がうまくいくと思うの?私を手に入れてうまくいくわけないのに」

 彼女は自分自身の御しがたい手綱を引いている。

 線香花火のようにひらめく短命な興味関心。できることはなんでもしてみたいという好奇心。思い描いたことはとりあえず形にしてみるまで突き進む衝動性。それは彼女が近年嫌っている自身の欠点だった。

「それは君がいろんなことに興味があって、楽しそうにしているからだよ。それが魅力なんだから、いいじゃない」

控えめに口を出したつもりだったが、彼女はわざわざグラスから唇を離して猛烈に抗議した。

「まるでそれが才能みたいに言われるとムカつくの。すごく努力してるの。退屈な本も読む、くだらない本も読む。睡眠時間を削って調べものをする。すべて努力なの」

「その努力ができない人、頑張り方を知らない人にとっては見習いたいと思うところなんだよ」

「だからって私が見つけたものを横から取り上げたり、興味関心を耕す時間を奪ったりしていいわけじゃない」

頑固者。

あきれ果てて黙る私を彼女はすがるような眼で見て、それでも自分が言ったことが意外と自分の心境をうまく説明していたようで、撤回しなかった。

 彼女自身に強い自走力と自浄作用ある。自然や芸術で心を癒すすべを知っている分、自分だけで完結させてしまう。それがしばしば交際相手に冷たい印象や、のけ者にされている印象を与えてしまうのだ。

彼女は深々とため息をついて、2杯目の氷を入れるため席を立った。

「次はハイボールにしよ。レモン入れようかな」

彼女にとって最も長い交際期間だったはずだ。受け取るものが多かった。楽しさも悲しみも、慈しみも怒りも。好きだけでは続いていかない心境をよく理解したのがこの交際期間だったはず。痛みなどないふりをしているが、あまりに心に近い位置に痛みがあって、気づかない。気づいたら壊れてしまうから、気づいていても気づかないふりをしているのだろう。

グラスの中では炭酸が軽快にはじけている。浮かんでは消える言葉に似ている。はじけた気泡を鼻先に感じながら、彼女はグラスをあおった。喉が焼ける。アルコールが麻酔のように効く。

 

「好きなとこ、いっぱいあった」

「うん」

「何とは言わないけど、いっぱい笑った」

「うん」

「ほんとにバカみたいなことで、いっぱい笑った」

「うん」

「もうあんなに笑うことないと思うわ」

「うん」

「いっぱい褒めてくれた。いろんな言葉で。嬉しかった」

「うん」

「ずっとそこにいてもいいと思う日もあった」

「うん」

「ずっとこうしていくんだって思った日もあった」

「うん」

「でも、わたしは誰かの生きる理由になりたくない」

 

 彼女はゆっくりと体幹を崩し、私にもたれかかった。部屋着越しの柔らかな体温にくるまれたその身体のことを思う。誰にでも大切にされた身体。聖も毒も一つに包み込む命の器。一人の人間なのに無数の心を持っていて、一つずつが激しくぶつかり合って彼女を燃やしている。きっとみんなそうだ。泣きながら笑うのはきっとそのせいだ。

「好きだった、ちゃんと」

 結露した水が、グラスの側面を落ちてゆく。

 

 

 

 

 

 

約束とサバイバル

台風が行って仕舞えば、秋が来ると思っていたが甘かった。私が強羅の山中で感じた心地よい秋風はどうやら幻想だったらしい。

だらだらと地上へ引き摺り下ろされてみれば、なんということはない。まだ夏は大きな口を開けて、その倦怠の中に全てを飲み込もうと待ち受けていた。わたしは激しく絶望した。

まだ食べるのかい、これ以上気力も体力も奪い取って、君はわたしに何にももたらしてくれなかったな。間延びしたような夏休みは、世間様に申し訳ないほど私を怠惰にしてしまった。

季節のせいにはしたくないが、近頃は何をするにも億劫でいけない。心踊るときといえば、夏の果物なんかを懐に抱えて帰るときか、メダカがチロチロ動くがために揺れる波紋が、障子に映っているのをみるときくらいである。それはまるでそこだけ銀閣寺の庭園に見間違えるほど美しい風景だが、わたしの部屋にはエアコンがなく暑いので、風雅な気持ちもすっかり醒めてしまう。(醒めるというと涼しい印象になっていけないなと思い、明日のわたしはここで赤を入れるだろう。)風雅な気持ちも、もったりと厚く塗られた油絵具のような暑苦しさの層の中に埋まり、なかなか顔を出さない。

日差しの強さはともかく、湿度が高いことが最も悩ましい。風邪の後の長引く咳のような始末の悪さに似る。片付いたはずの仕事を蒸し返され続けるような不快感を覚える。

水質の悪い環境にいる魚はこんな感じなのだろうかと思い至り、再び机上のめだかに目をやる。

近頃室内に移した2匹は同時期に生まれた個体で、なんとなく番いのようにみえる。内臓が透けるような透明な体がよく似ている。片方は消化不良を起こしているのか、毎日腸に似た透明なフンをくっつけて泳いでおり不憫だ。だが死ぬ気配もないのでまだ様子を見ている。

…大丈夫、君たちはわたしが守るよ。こういう、小さくか弱い存在を抱えていないと、わたしはあっけなく明日の目覚めを反故にするだろう。

あっ、いけないなと思ったときには、拭いきれないだるさが四肢を支配し、寝台に磔となった身体は砂袋なのかというほどに、いうことを聞かない。

そうならないために、日々の中で、明日に続くことを必死で紡ぐ。それはメダカを飼うことに始まり、ピクルスを漬けたり翌日の弁当のおかずを仕込んだりすることに至る。通勤中に聞く音楽を見つけたり、友人と飲みに行く約束を取り付けたりする。それら全部、未来の自分との約束を、けだるさが全身に沁み込んでしまう前に一つずつ数える。それでようやく、動ける感じになってくる。

 「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」

そう書いた太宰の気持ちが少しわかる。生きようと思う明快な理由がないと、生きていられない気持ちが。

だが太宰、夏まで生きてもつらいよ。着物一枚じゃどうしようもない。

今の日本の夏は魔物のようだよ。

がんばれ、おじいちゃん!

母方のおじいちゃんが、今年90歳になった。

90歳は、またの言葉で「卒寿」という。

おじいちゃんは、この卒寿を機に、人生を卒業するのだと張り切っていた。もう十分命を全うしたのだから、ゴルフとマージャン、そして庭いじり以外の一切の趣味をやめ、年賀状のやりとりもやめ、孫たちにお年玉を渡すこともやめるのだと宣言した。90歳になってもゴルフとマージャンはするのか、とは思ったが、それができる90歳でいてくれるのは「めでたい」ことだと思う。

芝と梅の木、そしておばあちゃんが植えている色とりどりの花が饗宴する美しい庭を眺め、気に入った本を読みながら安寧と過ごすことを夢見ていた。冒険に出かける前のビルボ・バギンズのように、その意志は固かった。

ところが2024年9月、いよいよ90歳になろうかという時に、おばあちゃんが大腿骨を骨折し、3か月間の入院生活となった。そしてそれは当然、90歳で人生を卒業するというおじいちゃんの人生プランに支障をきたした。

 いろんなことが突然おじいちゃんの身に降りかかった。おばあちゃんのお見舞い、毎日の掃除と洗濯、食事の用意、おばあちゃんが帰ってきたときの住宅環境の整備など。まだまだ人生を卒業させる気はないと、神様にぴしっとおしりを叩かれでもしたかのように、日々やらなくちゃいけないことに追い立てられることになった。

 

 おじいちゃんは、高度経済成長期にばりばりと右肩上がりに業績を伸ばした、それなりにデカい会社の、結構偉い人だった。会議室に入ると全社員が起立し、おじいちゃんが片手を上げるまで全員着席しないのだとか。

 時代と、そして九州男児の血も相まって、家事育児などは一切しない、いわゆる典型的な「昭和の父親」だったと、娘である私の母は回想する。「向田邦子の『父の詫び状』に出てくるようなお父さんだったのよ。出張も多くて、半年ぶりに帰ってきたときにはお土産がたくさんあった。でもその翌月にはまた別の出張に出てしまうのよ。年末には会社の部下をたくさん家に連れてきて、お台所の手伝いがとても大変だったの」

 孫の私は気楽なもので、そんなおじいちゃんの背中にまたがって、ライオンキングの「ティモンとプンバ」になりきって遊ぶのが好きだった。おじいちゃんは3歳の私にライオンキングのビデオを気が狂うほど見させられ、セリフをすべて暗記させられたという。私を公園に連れていくために後ろに座席がある自転車をわざわざ買って、不慣れでよたよたの運転で、川沿いの公園によく連れて行ってくれた。

 初孫の特権として、おじいちゃんとの思い出はたくさんある。でも、その裏であれこれ世話を焼いて、のびのび遊べる環境を整えてくれていたのはおばあちゃんだ。そのおばあちゃんの危機に際して、おじいちゃんは大変身することを余儀なくされた。

 

 おじいちゃんは生活の基礎から、覚えなくてはならなかった。まずは洗濯機を使えるようになること。三姉妹の娘たちに教わりながら洗濯の手順のメモを取り、洗剤の分量も間違えないように細かく尋ねた。

 風呂やトイレの掃除も自らブラシを取った。数日ぶりに母が様子を見に行くと、排水溝までぴかぴかに磨き上げられたお風呂場を見て驚いていた。体は動くし、元来まじめな人だから、やろうと思えば大半のことはできるようだ。

 食事の用意は毎日負担であるが、同時に楽しみでもあったようだ。90歳になって初めて白米を炊き、ハムとチーズのトーストを焼いた。初めてスーパーのお惣菜を吟味し、初めて無印良品のカレーのおいしさに驚嘆した。

 そんなある日、おじいちゃんのもとに殻がついた栗がひと箱届いた。どこから届いたのだか知らないが、こういう厄介なものを処理して食べられる状態にするのはいつもおばあちゃんの役目だった。あまりに膨大な量なので、三姉妹の娘は、おばあちゃんが帰ってきたときに食べられる分を残して、いくらかを貰ってきた。

 数日後、母が様子を見に行くと、流しに栗の殻が3つ転がっていた。どうしたのかと聞くと、栗ご飯を炊いたのだという。おじいちゃんが自慢げに見せてくれた写真を見ると、ごろっと白米の中に埋まっている栗はまだ硬そうな雰囲気ではあるが、それでも、ちゃんと栗ご飯の形をしていた。あの硬い栗の皮を一人で黙々と向いているおじいちゃんの姿を想像して、いとおしくなった。「3つ…3つだけかあ」「遠慮がちだねえ」と母と笑いながら、私たちもその夜、栗ご飯を食べた。

 

 一方で、病室のおばあちゃんはというと、気力を失わないように必死だった。病気ではないので投薬もなく、とにかくリハビリ続きの毎日。明るくおしゃべり好きな人なので、同じ病室の人とすぐに友達になったのは幸いだった。

 しかし病室は人の思わぬ一面を引き出す性質がある。そして怪我もまた、人の不安を煽る。入院中のおばあちゃんはときどき、娘三姉妹におじいちゃんの愚痴を聞かせた。「私が家にいないのに、これからの家のことを全部決めようとする」「差し入れを持ってくるタイミングが合わない」「私が持ってきてほしい靴下とは違う靴下を持ってきた」などなど。そしてそれを小耳にはさんでしまったおじいちゃんが、怒ったり悲しんだりすることもあった。三姉妹の娘たちは、そんな両親の気分の浮き沈みをなだめながら、どうにか退院まで二人の気持ちを盛り上げようと尽力していた。

 三姉妹の娘たちはみんなそれぞれ結婚しており、また別の「家族」を営んではいるけれども、こうして何かトラブルがあるとみんなで毎晩のようにグループラインで相談していた。思っていることとか、考えていることは全然バラバラで時には意見が合わないこともあるけれど、誰かが流れを作りそれに便乗するという形でゆっくり話が進んでいった。誰か一人が全部決めることはなかったみたいで、みんなでちょっとずつ意見を出しながら、そしてちょっとずつ引き受けたり譲ったりしながら、絶妙なバランスを保ち、家族全員の仲が良いまま退院までこぎつけたのだ。 

 そんな風にして気を紛らわせながら、意外にも3か月はあっと今に過ぎた。入院したときから2つ季節が過ぎ去って、もうマフラーが必要なくらい寒い。でも、退院の日はイチョウが青空に映える晴天だった。

 

家の中も、おじいちゃんもおばあちゃんも全部変わった。

おじいちゃんは掃除と洗濯と炊飯ができるようになった。おばあちゃんは腰に人工関節を入れた。それに伴ってお風呂には介護用の椅子が置かれ、玄関には靴を履くための椅子が置かれた。2階にあった寝室は階段の昇降を避けるため1階におろされた。食卓も今までは畳に座る低い机だったが、高いテーブルとイスに買い替えられた。ついでに、なぜかトイレのリフォームまでした。

退院したその日の夕食で、おばあちゃんはワインを3口飲んだ。電話口のおばあちゃんの声は少し泣きそうだけど深い安堵感に身をゆだねているような、温かい声音をしていた。「いろいろ様変わりしていることはあるけれど、やっと戻って来られた」といった。安心して眠れる、と庭がよく見える新しい寝室を喜んだ。

おじいちゃんは、おばあちゃんの不在の時、今までのおばあちゃんの苦労に思いを馳せることもあったようだ。自分一人の生活を3か月続けるだけでもよたよたしていたのに、それを60年近く家事の全てを引き受けて、文句を言わずに続けてきたおばあちゃんの偉大さが身に染みたようだ。同時に、暮らすとは、生きるとは、案外もっと面白いかもしれないと気づいたようでもある。栗を3つ剥いて栗ご飯を作ろうと思ったその好奇心が、何よりの証だろう。人生を卒業しようとする人がする所業ではない。

 

 家族を続けるということは、ほころんだ服を直しながら大事に着続けることに似ていると思った。長く一緒にいれば、元気がなくなったり怪我をしたりする。でも、破れたりほつれたりしたところを直せば、また着られるようになる。時にはあたらしい布をあてがうこともある。ずっと変わらずにいることは不可能だけれど、ずっと大切でいることはできるのかもしれない。「円満な家庭」という、最も身近で最も難しい課題の、一つのあり方をわたしは、母方の祖父母に見せてもらえた。

 

「やっとおばあちゃんの料理が食べられるよ」

電話口の声は弾んでいる。

わたしの90歳のおじいちゃんは、とてもめでたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

梅と夕陽

 

母方の祖父母の家の庭には、梅の老木がある。

園芸が趣味の祖母と、芝生の手入れが趣味の祖父が協働で作り上げた美しい庭の中心に、一本どんと構えている。毎年私の誕生日の頃に花の盛りを迎え、ちょうど6月の今頃、青い実をたくさんつける。

 

そういうわけで毎年6月の初頭、この梅の実の収穫のために祖父母の家に行く。

幸い、祖父母の家は同じ神奈川県内にあり、電車一本で行き来できる。最寄駅から1キロメートルくらい歩くのだけど、その間に大きな下り坂が一つ、緩やかに長い長い登り坂が一つあって、ちょっと遠く感じる。

 

お昼少し前に到着した私と母を、祖父母は笑顔で迎えてくれた。

紫陽花が満開だ。足の裏に反発を感じるほど、一面の芝もしっかり立って、コシがある感じ。初夏の庭には恐ろしげなくらいうずうずと、植物の意志がひしめいている。

肝心の庭の梅の木は、新緑の伸び盛りと重なって、それはそれはすさまじい生命の息吹だ。毎年剪定で切られるというのに、疑いもなく空に向かって伸びる枝は、青く、たっぷり水を含んで若々しい。久しぶりに日光にさらされる半袖から出た二の腕のような危うささえある。

 

6月に入ると、おばあちゃんもおじいちゃんも梅のことが気になって仕方ない。

時期を過ぎれば熟れすぎて、熟した黄色い梅がぼろぼろと地面に落ちる。今年は実が熟すのが早くて、おじいちゃんは芝の手入れをしに庭に出るたびに、黄色く熟れた梅を拾い集めていたのだという。

 

わたしのおじいちゃんとおばあちゃんはちょっとしたスーパー後期高齢者なので、ちょっと紹介させてもらいたい。

 

おじいちゃんは今年で90歳になる。毎朝5キロのウォーキングを欠かさず行い、週に2回のゴルフと週に1回の麻雀に欠かさず通い、日経新聞を読み、芝の手入れに余念がない。そんな日常のルーティンのせいか、ボケてもいないし体力も十分あって、おまけに肌つやまでいいときた。

そのままぴかぴかの仏像になってしまえるくらい幸福そうな、ありがたみのある風貌をしている。

梅収穫のこの日も、自分の身長の1.5倍はある大きな脚立を軽々と担ぎ、腰を曲げることなくちゃきちゃきと歩く。地面に落ちた梅を拾い上げるスクワット的な運動も、さっさとこなしてしまう。

ちなみに、現役サラリーマン時代からずっと歯の手入れに余念がなく、今でも1本も抜くことなくすべての歯がそろっている。

それどころか4本立派に生えた親知らずですら抜かずに大切にその口内に収めているのだから、一般的な人よりも4本歯が多いことになる。それで、なんでもおいしそうに、わっしわっしと食べる。

うらやましい、こうなりたい。私もまだ親知らずを抜いていないから可能性はある。

 

一方のおばあちゃんはと言えば、週に1度プールに通い、3キロほどゆっくり泳ぐのだという。ハイキングやウォーキングが趣味で、時々山にも上っている。

おばあちゃんは、だしを使ったお料理が天才的に上手だ。こちらも、まだボケてもおらず足腰もしっかりとしてまだまだご健在の様子。

和裁の学校に通っていたから、お裁縫もとても上手だ。私は成人式で、おばあちゃんが親戚のおばさん(おばあちゃんにとってはつまり娘)の成人式のために縫った振袖を着た。母は3姉妹なので、おばあちゃんは一人ひとりに振袖を縫った。

成人式なんてもう7年前だけど、おばあちゃんの部屋の押し入れから次々と出てくる振袖や帯にわくわくしたことを思い出す。手作りの振袖を着られることが、当時はとても嬉しく、誇らしかった。

おばあちゃんはなんでも作る。ブックカバー、鍋敷き、ティッシュけース、ちょっとしたパッチワークの飾り。「もう細かいところは目が見えないのよ」と言いながら、何か作っていないと落ち着かない様子で、行くたびに何かしらの新作を披露してくれる。

「いつ死んでもいいように、白装束を縫ったのよ」と屈託のない笑顔で告げられてから、かれこれ10年経つ。このままその調子で長生きしてほしいと思う。

 今年の正月、酔っぱらったおじいちゃんがゴルフのキャディさんを「ガールフレンド」呼ばわりしたとき、おばあちゃんは飄々と「まったく、調子に乗っているわね」と一笑に付した。その直後、みんなでお雑煮を食べていたらおじいちゃんが餅をのどに詰まらせ、騒然となった。

おじいちゃんの顔が真っ赤になったり土気色になったりして、さすがに背中をたたいた方がいいか、とかなんとか、みんながあわてた。

そんなときに、おばあちゃんは肩を震わせ、くすくす、あはははと笑っていた。「ばちがあたったわ」と。この人は魔女かもしれないと、本気で思った。

 

梅はたっぷりおおきなポリバケツに3杯ほどになった。

何キロくらいになるのだろう、ざっと15キロくらいにはなっていると思う。

梅干し、梅酒、梅醤油など様々に加工され、一年間私たちの食卓を支えてくれる。

幼いころから、おばあちゃんのめちゃくちゃすっぱい梅干しで育った私は、白米が大好きな人間に育った。中学生から大学生までお弁当に必ずこの梅干しが入っていた。

梅酒は飲むだけでなく煮物やからあげの下味に使うとぐっとこくが出ておいしくなる。

梅醤油は、おそうめんを食べるときにおつゆに混ぜ、梅の実ごと食べるのが定番だ。

イカの刺身とも相性がよく、お酒を飲むようになってから一層そのおいしさにありがたみを感じる。

 

私を迎えてくれるおじいちゃんとおばあちゃんはいつもニコニコしていて、好きなものを好きなだけ食べさせてくれて、最近咲いた花の紹介をしてくれて、私の仕事の話を聞いてくれる。

この日は梅の収穫を手伝った私と母をねぎらって、おじいちゃんがワインをふるまってくれた。よく晴れた庭を見ながら飲むお酒だ好きだ。

おばあちゃんは最近新しくできたパン屋さんのパンをたくさん買ってきて、それがとてもおいしかった。キャロットラペがぎっしり詰まったサンドイッチをほおばりながら、梅を何に加工するかについて話し合った。

 

生まれたときからずっとあって、私の人格の一部を作ってくれた祖父母とその家、そして梅の木。

幼いころには考えもしなかったけれど、成長するにつれ、この家はおじいちゃんとおばあちゃんがいなくなったらどうなってしまうのだろうと考える。いくらスーパー後期高齢者とはいえ、いずれ来てしまうお別れのときは避けられない。

おじいちゃんやおばあちゃんとの別れが、すなわちこの梅の木との別れにもなってしまうのかと考えると、言いようもない寂しさに襲われる。この庭を維持するだけの園芸の知識、手間暇をかけられる時間、定期的に庭師を呼ぶ財力、そのどれも私は持ち合わせていない。ふがいないけれど事実、受け入れたくないけれど事実だ。

この家の階段は急だし、2人で暮らすには広くて掃除も大変だと思う。

そしてこの街自体、坂も多く、買い物に行くにもだいぶ歩かねばならず、高齢者が住むにはあまり向いていないようにも思う。実際、祖父母の家の周りには空き家が増え、立派な一軒家が取り壊されて、そのあと3つくらいプレハブみたいな新しい家が建つことも珍しくなくなった。

だから、玄関先で二人並んで見送ってくれる祖父母に手を振るとき、近頃はいつもセンチメンタルな気持ちになるのだった。私が考えすぎなだけかもしれないけれど。

 

自宅近くまで戻ってきたころ、おばあちゃんから電話があった。「忘れ物しているわよ、小さなポーチを」と。私がいつもイヤホンやリップクリームなどを入れている小物入れを置いてきてしまっていたらしい。

私はまた、祖父母の家に向かう電車に乗って、うんざりするくらい長い坂をのぼって歩いた。心の中で、きちんと荷物の確認をしなかった自分のことを少し恨めしく思いながら、祖父母が待つ家に向かった。

 

着いたら、おばあちゃんが玄関を開けるなり、「夕陽が綺麗よ」と言った。

2階から降りてきたおじいちゃんも、今日は夕陽が綺麗だと言った。

「帰りは高い丘のほうから、ぐるっと降りて帰るといいわね」とおばあちゃんが言った。

 

冷たいお茶をもらって、今度は忘れずに持ち物を持って、祖父母の家を出た。

おばあちゃんが言った通り高台のほうから駅に向かうと、確かに夕陽はやわらかく、空いっぱいを繊細な茜色で満たしていた。ウィリアムターナーの絵画さながら、うっすらとした絵の具の気配を、広範囲に丁寧に伸ばしたような優しい夕焼けだ。

淡い青空に寄り添う、ため息のようなこの夕陽を綺麗だといったおばあちゃんとおじいちゃんのことを、とっても素敵だなと思った。

確かにこの街は坂が多く、祖父母の家から郵便局やスーパーも遠く、ありありと不便だ。20代の私が辟易してしまうくらい、駅からの道のりも遠い。

だけど、わたしのおじいちゃんやおばあちゃんは夕陽が綺麗とか、そういうことを楽しみに、この街に生きているのかもしれない。

 

その日は、ほんとうに夕陽が綺麗だった。

祖父母の家の最寄駅からわたしの家の最寄駅に着くまでずっと甘く空を染め、ほんとうに綺麗だった。

 

大好きの代わりに

 

前を向いていたい私たち

素直になろうよ すてきな絵を飾って

日々日々、あなたが隣にいてくれたら

どんなに幸せでしょう

昨日もふたりで笑ったし今日も笑うし

きっと明日も笑うでしょう


大きな秘密をかかえて

2人で迎える世界は

甘くすこしぼやけて

はじまりの気配とあたたかな体温

そのやさしい眼差しの中に

少しでも長く居させてください


大好きの代わりに

あなたに穏やかな夜が訪れるよう祈ります

暗闇でも怖くないよう迷わないよう

わたしは遠くの岬で光を照らす灯台になる


大好きの代わりに

あなたにやさしい朝が訪れるよう祈ります

わたしはひとり先に明日に足を伸ばし

あなたの夢に朝日を連れてくる


怖がりで臆病な私たち

あまりに世界が大きくて手に負えず

泣いてしまう日もあって

夜々夜々、あなたがそばにいたら

どんなに心強いだろう

変わらないあなたの想いを信じるし

変わるあなたのすべてを愛したいのです


あまり勇気はないほうだから

できれば2人で分け合おうよ

あんなに諦めていた未来が色づくのを見た 

差し出したい自分と見せたくない過去

そのやさしい眼差しの中で

冷たい心の底に陽が差さしたの


大好きの代わりに

あなたの部屋中に花を飾ります

それは思い出であり写真であり

たくさんのキスであり

あたたかい料理であり


大好きの代わりに

ひとつでも多くの約束を交わします

次の週末には模様替えをしよう

小さなカメラを持って旅行にいこう

そしてなによりも

また明日笑っておはようと言おう

 

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言葉は、どんな言葉だって劇薬だ。わたしたちはそれを使って他者に自由に思いを伝えることができる一方で、時にわたしを縛り、その言葉以外のことを考えさせてくれない。

あなたに気持ちを伝える言葉なら、素直に「大好き」と「愛している」がよく似合う。そんなことはとっくにわかっている。しかし、その二つの言葉に甘えていたらいつか言葉は、その殻だけを残して消えてしまう。

「大好き」と「愛してる」に頼らずに気持ちを表現したい。それは、挨拶を交わすこと、触れること、抱きしめること、見つめること、記憶すること、日記やブログに記録すること、写真を撮ること、離れていても思い浮かべること、幸せであるよう願うこと、これから先の人生が豊かであるよう祈ること。生活のほとんど全てだ。

 

 

 

テレビドキュメンタリーを撮る仕事のこと

 よく晴れた日の秋晴れは、犬が死んだ日のことを思い出す。朝、多分最も美しい朝の時間に彼は旅立った。その日は雲ひとつない晴天で、きっと迷うことなく天国に行けるだろうと思えるような日だった。わたしも、死ぬ日を選べるならあんな日がいい。君は本当に、いい日を選んだ。11月1日、ワンがゾロ目で3つ並ぶ日。

わたしが9歳の頃から、彼はわたしの毎日の中にいた。彼はわたしの進学を全て見届け、就職した年にこの世を去った。亡くなる半月前、もう見えていないはずの真っ白い目でじっとわたしを見つめてきた時間のことを、今でも忘れられないでいる。その頃はまだ散歩ができて、彼がもうじき死んでしまうところにいるなんて、わたしにはわからなかった。亡くなって思い返して、やっとその時間が尊かったことを知る。何度思い出しても泣いてしまう。

・・・いや、そんなことじゃない。今日考えるべきはそんなことじゃないのだ。いやどうも、この季節に深く考え込もうとするとまず真っ先に秋晴れと大切な犬の死が重なって、明るいのか暗いのかよくわからない気分になる。落ちる葉もあれば実る果実もある、秋の性質のせいだろう。

 

実ったもののことを考えてみると、意外に少ない。少ないけれど、どれもお気に入りばかりという手触りがする。ここ最近やっと形になってきたのは、仕事の仕方だろうと思う。

 都内の小さな番組制作会社に勤めている。このブログでそんなことを書くのは初めてかもしれない。学生の頃は、勉強していることと自分が普段考えていることが全然違ったので、このブログには論文にはできないことを書いていたけれど、社会人になったら、仕事中に考えていることと普段考えていることに重なる部分が生まれてきた。それがいいとか悪いとかは別にして、そんな日々を気に入っている。

 わたしが勤めている番組制作会社では、主にドキュメンタリー番組を作っている。世間一般で「ドキュメンタリー」といえば・・・、思い浮かべる番組はなんだろう。ひとに紹介するときは、だいたい「ガイアの夜明け」とか「情熱大陸」とかいうとわかってもらえる(が、厳密にはあんなのはドキュメンタリーではないよなと思う)。最近人気なのは「ザ・ノンフィクション」か。でも骨太のものと言ったら、やっぱりNHKスペシャルETV特集になるかなと思う。NHKの報道は批判も多いが、ドキュメンタリーは好きという人が多い。予算も取材期間もたっぷりもらえるのでわたしもNHKの仕事は好きだ。

星の数ほどある映像プロダクションの中で、弊社ほど愚直にドキュメンタリーをやっている会社は意外にも少ない。ドラマやバラエティを作る機会は少ないので、頻繁に芸能人に会えるわけでもないし、グルメ番組に出てくるようなとても美味しい料理も残念ながら期待できない。地味だ。果てしなく地味だ。だから正直な話、やりたがる人は少ないよな思う。

 

具体的にどんな仕事をしているかというと、入社してから最初の2年間は、いわゆるAD(アシスタントディレクター)の業務をこなしていた。

言い慣れないビジネス用語を使って、取材交渉の電話やメールを送ったり、撮影候補地となりそうな場所をネットで探し回ったりなど、いわゆる「仕込み」の業務が多い。

撮影が済むと、映像素材を整理して、編集期間に入る。その間には、足りない映像を取り寄せたり、ナレーションで語るべき情報の裏どりに奔走する。同時に、番組の原稿を書く。これが驚きで、番組の中で何分にどんな映像か、誰がどんな発言をするかを全て書き込まなくてはならない。ナレーションはもちろんのこと、インタビューの発言もカメラワークも全てである。「03:57  〇〇選手インタビュー ZI(ズームイン) 今回の試合は〇〇が××で・・・云々 」とか、そんな具合だ。ドラマだったら先に台本が出来上がるところが、ドキュメンタリーではその順序が逆。そんな小さな事さえ、入社したてのわたしには驚きだった。

 何気なく聞き流している人も多いだろうが、ドキュメンタリーのナレーションはディレクターが命をかけて書いていると言ってもいいだろう、少なくともわたしはそうだった。語感、分かりやすさ、情感、映像や登場人物の言葉を邪魔しないくらいの匙加減。トランプタワーが絶妙なバランスで立つのと同じくらいの繊細さで、それは成立している。語彙力と言ってしまえばそれまでだが、たとえば、「思い出」か「記憶」かで悩む、「生きる力に」か「生きる力へ」かで悩むとか、そういった具合だ。ナレーション一言決めるのに、10秒の映像を30回くらい見る。本当に、大袈裟じゃなく。だから、1.5倍速とかでみられたら、たまったもんじゃない!

 

極端な話、ドキュメンタリーは台本もリハーサルもないまま撮影をするので、どれくらい何が撮影できるかわからない。天候の都合で撮影できないこともしばしば、海外のスポーツ選手を撮ろうとしたらすでに引退しているとか、現地についてみたら下調べしていたことと全然違う現象が起きていることもある。人の世はまさに、生ものだなと痛感する。

撮れだかが心配だからといってずっとカメラを回し続けるのは、機材のバッテリーやSDカードの容量を食うとかで推奨されない。編集のときに長すぎる素材をラッシュ(撮影した素材を見返すこと)するのも相当骨が折れるので、優秀なディレクターはそんなことをほとんどしない。

ADのうちは、そういったことをディレクターの手伝いをしながら学ぶ期間だ。ADといえば、雑用ばかりさせられ、そのせいで「こき使われる」というブラックなイメージがあるようだが、そんなふうにこき使われながら取材の勘や肌感覚を学んでいくのだ。社内では、「早くディレクターになれ」という人と「下積みをしっかりしないとディレクターにはなれない」という人とで綺麗に意見が分かれているが、わたしは後者の意見に賛同だ。下積みにもちゃんと理由があるもんだ、いや上手くできてるなと思う。

わたしは昨年、自分が取材したいと思うネタでNHKで1本50分くらいの番組を作った。もちろんその頃のわたしは絶賛見習いAD期間だったので、社内でも優秀な先輩ディレクターの全面的なフォローを得て、1年かけてやっと完成させた。

人の命が関わる医療現場の一端を見せてもらう撮影だったので、取材から編集までずっと気を張っていた。その間、取材させてもらったある人は亡くなったり、ある人は転院したり、いろいろなことが起こった。普段の生活の中に取材という異分子が紛れ込むことを許してくれる取材対象者の方には本当に頭が下がる。

その番組の取材中、普段寡黙な先輩ディレクターがとても真剣にわたしに言った。「俺たちの仕事は、人の人生で飯食ってるようなものなんだよね」と。ドキュメンタリーは得てして人生の大切な瞬間にカメラを向ける。喜びの瞬間、憧れや期待、離別の悲しみのどん底、葛藤、先が見えない不安、もどかしさやときには諦め。

 人を撮り続けている限り、そこには何らかの表情があり心の動きがある。彼/彼女の生活の中の、意味のある一瞬。ドキュメンタリーを作るということは、それを  “誠実に“  解釈しようとする絶え間ない努力の繰り返しだ。

もちろん、いつも正しく解釈できるとは限らない。「こうだろう」とこちらが期待していても、当の本人が全然意に介していないことはよくある。逆に、こちらの何気ない一言が、相手を深く傷つけたり、怒らせたりすることもある。カメラに映る現象の全ては、私たち取材班と取材対象者の相互作用の結果だ。そういう意味で、ドキュメンタリーが「客観的」でいるなどありえない。

そう、誤解されがちだがドキュメンタリーが描くのは真実ではなく主張だ。何を撮るか、誰に何を問うか、ことごとくディレクターの主観的が反映されている。何かを明らかにしようと取材対象者に尋ねるとき、わたしたち取材班もまた問われている。結果として映像に表現されるのは、中立でも、たった一つの真実でもない。(ただし独りよがりでももちろんない。)

緊密な相手との関係や、取材相手と長く時間を過ごしたことで生まれた主観が織り交ざったドキュメンタリーは、味わい深いとわたしは思う。「ドキュメンタリーとは格闘技である」と言い表した原一男の言葉はちょっと過激だけれど、確かに殴り合いに似た緊張感がある。直接パンチをくらってどこかを痛めた取材陣が作るドキュメンタリーは、すごみがある。覚悟みたいなものさえ感じる。

ディレクターの主観の持ち方、というのは、この仕事を志す人にとって一生の課題だろうと思う。偏見があってはいけないし、無知はもってのほか、見て見ぬふりは論外、できるだけ多くのことに気づいていなくてはならない。気づいたことの一つずつを検証しなくてはならない。自分の細かい感情の動きにすら、敏感でなくてはならない。そして視聴者に気づかれないくらい透明でさりげなく居なくてはならない。

 

 携わった作品の数はわたしなんかまだまだ少なくて、その中で果たした仕事もまだまだ小さなものだ。だから、入社してからの3年間の実りというのは少ない。だけれど、その一つ一つの味がめちゃくちゃに濃い。そんな仕事ができることに今は充実を感じる。正直、あともう少し給与が上がったらいいなと思うところだけど、それは自分が十分実力をつければ自ずと後からついてくるんじゃないかと思うしかない。

来年もめげずにこの仕事ができますように。