別れる女には音楽を教えておきなさい。

 

 何気なく入った洋服屋さんでクラブミュージックのカバーが流れた。どこかで聞いたことがある曲だなと10秒間考えて、それが以前付き合っていた人がわたしに勧めた曲だったことに気付いた。

 人の好みに染まりやすいわたしは、その人勧めてくれる曲ばかりを聞いていた。クラブカルチャーに身を浸していたその人が進めてくるのは大抵クラブでかかっているような洋楽だった。クラブに行ったことがないわたしは、曲と、その人の話から怪しいダンスフロアを想像することしかできなかった。別に行きたいとは思っていなかった。

 その人と付き合っていた時、わたしは成人したての女ざかりだった。外泊はだめだと言われていたにも関わらず、お泊りを強行したことが一度だけある。黙って、終電を逃したことにするつもりだった。我ながら相当安直だ。

 その晩のバーでDJが流した曲が、Jonas Blue のMama。「今日の君にぴったりの曲だね」と彼は言った。妙に耳当たりのいい曲だったので、すぐに気に入った。向かい合って話していては相手の声が聞こえないくらいの爆音でその曲が鳴っていた。わたしが普段使っている路線の、一番西の街にある小さなバーでのこと。

 

翌朝帰る電車で、その曲をずっと聞いていた。

「ママ、ママ、そんなに気にしないで。」

両親から大目玉を食らうことはわかっていた。その曲を聞いていると、自分は間違っていない気がしたので心強かった。お守りを握りしめるみたいに何度も聞きいた。

初めて行く街で、危ない綱を渡っているような夜、頼れるのは彼だけ。そんな彼と、夜の真ん中で見つけた曲だ。そんな風に思ってたことだって、いまでも鮮明に思い出す。

「ママ、ママ、そんなに怒らないで」

かっこわるくあがいても、わたしは大人になりたかったのだ。

 

Mama (feat. William Singe)
Mama (feat. William Singe)
  • ジョナス・ブルー
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

 なにはともあれ、その日たまたま入った洋服屋さんで他愛ない洋楽に元カレの思い出を突きつけられてしまって思わず苦笑するなんてことができるくらい、わたしは大人になれたのだ。別に今更後悔したりつらいことを思い出したりはしないけど、想像以上にいろんなことを思い出したから驚いた。音楽と記憶は本当に仲が良い。

 

 元カレの件に限らず私が聴く音楽は、ほとんど他人に依存している。人に勧められれば、気が向いたときにYouTubeApple musicで検索して聴く。気に入った楽曲ができればしめたもの。どんどん検索してプレイリストに投げ込んでいく。こだわりをもって音楽を聴いている人は、わたしのこんな曲の聞き方を節操のない聞き方だと思うだろうか。


 人の好きな音楽の話を聞くのが好きだ。音楽を聴くとその人の好みがだいたいわかる。自分との相性もだいたいわかる。WANIMAを勧めてくる人とは距離を置こうと思うし、ジャニーズやアイドルを勧めてくる人には挨拶がわりにそういう話題を振ろうかな、とか。Official髭男dismやあいみょん星野源、米津玄師などなど最近テレビを占領している音楽を勧めてこられた場合は、プレゼンテーション次第で相手の熱量をはかりたい。「いいよね」くらいのテンションであれば興醒めで、わたしと同じ日和見な人なんだなと思って、もうその話はしたくない。


 音楽の話は、オタクっぽいほうがおもしろい。歌詞について、フレーズについてはもちろん、アーティストの生き様、ライブの舞台裏、バンドの解散秘話、アルバムの曲の並びについて、時代背景……思った以上に音楽については、語ることがあるように思う。

……と、気づいたのは、音楽に詳しい友人と知り合った最近のことだ。最初、その友人が何をいってるのかよく分からなかった。彼が音楽について話すときの「音楽」とわたしが普段聴いている「音楽」はなんだか少し違う気がしたからだ。歌うたいの彼にとって、歌や音楽はわたしが思っている以上に自分の体にも心にも近いもののようだった。

 わたしは最近彼のこてこての音楽の話と、その人が書いた曲と、その人が勧めてくれる曲を聞いて、ようやく何を言わんとしているか分かりかけてきた(まだ全部はわからない)。そしてその頃には、テレビから流れる音楽がとても退屈になっていた。

 その人の家にはレコードプレーヤーがあって、わたしはそこでレコードを聴く時間がとても好きだ。ジャケットがやたらかっこいいレゲエ、ビートルズブランキージェットシティ、中島みゆき。聴いたのはそこまで。

棚には他のアーティストのレコードもたくさんある。たくさんといっても、気持ち悪いくらい節操もなくたくさんというわけではなく、ここにあるのはお気に入りばかり、といったラインナップなのが素敵。わたしは彼の簡潔な棚も好きだったりする。

 

 彼と出会わなければ、レコードなんて一生無縁だっただろう。レコード屋なんて絶対に入らなかった。現在、音楽を聴く手段と言えばCDやストリーミングもあるというのに、やたら大きくて邪魔っけなレコードが、一部では人気な理由が分からなかった。しかしまあレコード屋を訪れてみると、なるほどこれは家に置いておきたいかもと思うジャケットの多いこと多いこと。帰ってから何気なくアマゾンでレコードプレーヤーを検索して、だいたい一万円くらいあれば手に入るのか…と試算する自分がいた。


 盤を出してターンテーブルに置く彼の静かな手つきを横で眺めながら話を聞く。
「アナログはいいよ。飛ばしたり早送りしたりできない。かけたら最後まで聞かなきゃいけない。だからレコードつくるときって曲の順番とかすごく気にして作るんだよ」


 最近では彼が教えてくれたアーティストの曲ばかりを聞いている。

すっかり自分の日常に取り込んでしまった今はそんなに意識することがないけど、例えば何年か経ってもう一度この曲を聞いたら、彼のことを思い出すのだろうか。

部屋の匂い、ソファに座っているときに見える部屋の風景、夜道の散歩、西瓜をグーパンで割って食べたこととか、代々木公園で夕陽を見たこととか。

 楽しみ半面、怖さ反面。出会わなければよかったと思うかしら。あの頃に戻りたいと思うのかしら。出会えてよかったと思うのかしら。

彼とは友達だから、よほどひどいケンカをしなければ決別することはないだろうと思うけど、何が起こるかわからない。

日々はわたしたちからいろんなものを少しずつあるいは唐突に奪う。自分の記憶力だけでは足りないから、わたしは音楽に頼ってしまう。

 

 

 

別れる男に、花の名前を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。と川端康成は言った。

別れる女に、音楽を教えておきなさい。一つとは言わない。

花ほど確実ではないけれど、心に残ってしまうと、簡単には捨てられないものだから。

 

ダンデライオン
ダンデライオン
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com