いつまでも幸せに暮らしたかったひとだらけだから世界は続いてきたのだ

地上にあるもの全てを焼き尽くそうとする日差しの中をなんとかかいくぐって生きている。人間はみな日傘の下で死んだ顔をしていて、草木ばかりが青青と太陽のことを信じている。いいなわたしもそんなふうに、あの灼熱の塊を恨まず生きていきたいな。そうは願っても、どうしてわたしの体に染み込んで、生きる気力を奪って行くのか。涼しくなった夜にばかり頭が働くので、眠れない。体操も瞑想もしているけど眠れない。動けなかった日中の何かを取り返したいと思っているけど、明日こそちゃんと生きようと思って眠ろうとしている。不甲斐ない。わたしはそんな夜ばかり越している。

 

爽やかの文字ごと食べたい灼熱の地球の上で君は泉だ

 

こぼさないようにここまで運んできたの 目の縁の海のすべてを

 

誰にも言えない恋をした女の子は、きれいだろうか。

夕暮れの帰り道、まだ夜にもなりきらない夏の薄闇はあまりに綺麗だから、そんなことばかり考える。夏の始まりと終わりには、失った人や思い出が、感情の地層からぬいっと顔を出してこちらを見るようなことがあって、わたしは怖い。

誰にも言えない恋だったから、覚えているのは私だけだ。相手はきっと覚えていないほどささやかで、伝えるなんて大袈裟でしかなかった恋。世界には、そうして消えていった愛おしい思い出や感情の機微が一体どれほどあるだろう。おとぎ話にも少女漫画にもならずにこっそりと葬られた恋。そんな恋を葬るときの、彼女たちの手つきってどれくらい繊細だろう、あるいは破滅的だろう。

わたしのブログに書いてあることを眺めて、まるでここは恋の墓場だなと思った。いろんな人との思い出を脚色したりしなかったりで書いてきたけど、どれも全然違う人のことを書いている。1人ずつちゃんと思い出があって、別れたりしちゃったけどくれたもののことを忘れたくなくて、消したりできない。今はもうそばにいなくても、なかったことにはならないのだと思う。こうして思い出は肥大化していく。

 

一輪の花のおかげでまた明日も 君もわたしも だめにならない

 

昨年から鉢植えで育てていたガジュマルがついに枯れて、わたしと母は大いに心を痛めている。葉が黄色くなって日々はらはらと落ちていく様子は、わたしも母も疲れさせて、寂しくさせた。ガジュマルに特有のユニークな形の幹に触れてみると、外側の乾いた樹皮だけが硬くて、中身は空っぽになっていた。中身の見えないものは苦手だ。人の気持ちは推し量ることができても、植物とか魚とか動物の、体の状態を観察するのが、わたしは多分とても下手だ。

もうこうなってしまうと枯れるしかない、という植物の終わりを眺めるのは心苦しい、恋が終わるのとおんなじくらい、心が痛む。わたしと母は、サボテンさえ枯らしてしまうくらい、植物を育てる才能がない。うちに来た植物たちには申し訳ないなと思っている。もう残された選択肢は切り花しかないわけだが、最近あまり花には惹かれなくて、やっぱり緑がいいなあ、と思っている。わがままだ。連れてこられる植物の気持ちになってみなさい。

 

わかりたくなかったわたしが大人であること 星があるのを忘れてたこと

明日にはきっと良くなってますように 風邪と景気ときみの機嫌と

 

最近になってようやく、買ったものを片端からきちんと使う、ということをしている。なんだか、感覚が古いのか、買って満足してしまうこと、というのがよくある。展覧会の限定デザインのノートとか、持っていると素敵だなと思うバッグとか、万年筆とか、そういった減らないものの類でも、なぜか手に取らないで置いておくだけのことが多かった。とても反省している。

その中の一つに、Kindle電子書籍リーダーがあって、最近はそれを使ってヨガの教典(もちろん現代語訳解説付き)を読んでいる。近所のフィットネスクラブで開講している講座にたまに行っているけど、先生が発する専門用語がわからなさすぎて、教典を読むしかなかった。ポーズの取り方とか、なぜそのポーズをするかとか、分かって嬉しいこともあれば、身体の浄化に関する章には、目を疑うような記載がたくさんある。胃の浄化と称して平気で吐かせるし、直腸を取り出して洗い、戻す。などという想像をはるかに超えたことまで書いてある。気分が悪くなって読むのをやめかけたけど、役にたつことも多いので、成り行きのまま目を通すことにした。ヨガでは、淡々と、感情の動きを一歩離れたところから見る訓練をする。教典の文言にいちいちびっくりしている暇はないのだ。

運よく、信頼できる素敵なインストラクターの人に出会えたので続いているが飽き性だし、しんどいことはすぐ諦めてしまうので、いつまで続くかわからない。続けるのが何よりの才能だと思う。何かを続けている人には、本当に頭が上がらないなと思う。例えそれがどんなに小さなルーティンであっても。

 

大きな仕事が終わって、短くて小さな仕事をいくつかこなす日々が続いている。全力疾走するには夏は暑すぎるけど、同じ会社内には、甲子園球児並みに熱い仕事をしてる人々もいて、ちょっと羨ましい。変わり映えしなくても、日は暮れていくし朝は来てしまうし、今はわたしはそれが少し怖い。置いていかれないよう、しがみつくのが必死だ。煙たいその不安は、眠気のような匂いがしている。

 

 

君に会うために光ってもう二度と光れないから離さないでね