隣の席の女が言うことには

 

 「今日私があなたの家に行くこともそのまま泊ることも、神様が決めてるのかな?」って聞いたら、あなたどんな顔するかしら。あなたがどう答えようと、あたしは絶対、「あたしが決めたことだもん」と言い張るつもりでした。

 私は行儀のいい娘だから、今は家族と住んでいて、べったりと親に監視されているような気分なの。「今日はどこへ行って誰と会います、こんなことをして遊びます。夕ご飯はいりません、日付が変わるより前には帰ります。それでは行ってまいります」と言わないと家を出してもらえない。変な感染症が流行ったせいでもっと出かけづらくなった。家に居たくない日、一人で眠りたくない日、誰にだってあるでしょう?そんな日でもあたし、自分の部屋に繋がれたままなんです。

 誰かに会いたくてたまらない日には野良猫になる夢を見ます。大抵夜で、人っ子一人いない寂しげな道を歩いている。でもぜんぜんみじめじゃないの。どこへ行こうか考えている間はとても楽しいから。やっと自由になれた!どこへでもいける!っていう気持ちが、体中の毛の一本ずつから滾っているような感じと言えばわかるかしら。

 しばらく歩いていると、街灯が伸ばしたあたしの影の先に、誰かのつま先が見えるのです。誰だかは、いつも目覚める頃に忘れています。・・ふふ、自分だと思ってきいていてよ、いい気分だから。・・それであたしはその人の足元へ、しとしとしとっと歩いていくの。待ちかねていたようなため息は、あたしのなのかその人のなのかわかんない。次の瞬間には大好きなその人の腕の中にいて、キスの雨、ほおずりの嵐。「かわいいね、連れて帰っちゃおう」っていたずらっぽく笑う顔にあたしもまんざらじゃなくなって、尻尾をくるん、ひとまわし。ああもう離れません。

 ところで恋って、難しくありません?あたし、一人の人だけをずっと好くような恋の仕方は下手で、いつも諦めてしまいます。繰り返すうちに悟ったの。流行り病のような恋の寿命は一年。慌てて女ざかりを売り出して、すっかり全部食い尽くされたら、後は奉仕をするだけ。そんなだからあたし、付き合う前から「この人とは長くて一年」と決めてかかっていた。我ながら質が悪いわ。ちなみにだけど、別れようと思って、唐突に別れを切り出してもダメ。記念日には会わないことから始めるといいとだんだん冷めていくから試してみてね。・・ちょっと、口の端だけで笑わないで頂戴。雑な恋の仕方をする女だ、ですって?ちょっと待ってよ、そんな風にしか愛させてくれなかった相手にも問題があるとは思わない?死んでも離れないって思わせてくれる人と会えてたら、もっとちゃんと丁寧な恋の所作を学べたはず。素質はあるのよ、あたし。あ、また笑った。

 ・・続きを聞いて。

ダメ、と思った男は躊躇なく振るし縁を切るのは、誰かがいっていたこんな言葉に影響されているからです。「女が男を乗り換えるのは、植物が手狭になった植木鉢を変えるのと同じこと」。なるほど、養分も吸い尽くして根詰まりを起こしたら、一回り大きい新しい鉢に変えなきゃいけないものね。女だってどんどん大きく深くなるもの。自分の深まりに限界を感じたら、一緒にいる人を変えたほうがいいに決まってる。あたしはやどかり、植木鉢。

 ・・だけど鉢がないと生きて行けないんじゃあどうしようもない。どっしり地面に根を張れるようになったら一人前というわけかしら。そしたら根っこが詰まる心配がない代わりに、どこへも行けなくなるのね。そう思うと、腹が立つやら寂しいやらで、どう生きていいのかわからなくなる今日この頃です。

  こうも思う。媚びる恋は中学生までで終わりです。大人になったら選ぶ恋をしなさいと教わりました。あたし、ちょうど思春期に、気立てのいいにこやかでおしとやかな友達がべらぼうに男にモテるのを見て憧れていたので、そうなりたいと思っていたの。いつもにこにこ、嫌われませんように、叱られませんように、褒められますように。ひょっとしたら服従するのも大好きでした。その頃の漫画とかケータイ小説では流行っている王子さまはみんな決まって「俺様」系だった。読み返すほどに目も当てられない描写と痛々しい台詞に当時とは別の意味でクラっと来るようなやつね。今じゃどんなこと言われたって命令されたって、「そんなわがままを聞き入れるのは世界であたしだけよ」と、構えて見せる余裕がある。実際甘えてくる人は可愛くて好きなんだから。

 

 そういえば最近、気まぐれでおみくじを引いたの。運勢は大吉で、万事うまくいきそうな気がしたのに、恋愛のところに「一線を越えるな」って書いてあって、なぜ神様はそんな意地悪を言うのかしら、と破り捨てたくなった。そんなおみくじはいくら総合運が大吉でも大いに凶でしかない。あたしにとっては、好きなったらそれはもう一線超えたことになるんですが、そういう場合はどうしたらいいのですか。恋の線ってどこにあるんですか。ねえ、どこにあるんですか。

 

 ああ、なんだかあくびがでてきた。

 ろくでもない恋ばかりして疲れたから、ほら、今日はあたしを拾ってよ。