近況

バス停の屋根から落ちた雫が鎖骨を打つ、そんな冷たさにさえ気が滅入ってしまうのだった。今にも泣き出しそうなグラグラと不安定な空に、自分を重ねるほどセンチメンタルなわけでもない。どちらかというと、降っているともいないとも取れるような小雨のせいで、どこに所在を置いていいかわからない長い傘の方が親近感がわく。今年の梅雨は少しでも楽しい気持ちで乗り切りたくて、黄色い傘を買ったのだった。まだどこにも置き忘れてはいないから、上出来な方だと思う。わたしはある種の障害を疑うくらいに忘れっぽいことに最近気づいた。


飽き性極まって、心から欲しいもののその先が見える分、わたしは何も望めない気がする。

なんでもそう。ポテチとか、3枚くらいでよくて、あとは取っておくんだけど、湿気てしまっておいしくなくなって結局捨てる。あんなに飲みたかった炭酸飲料も、一口飲んだら興味がなくなる。ただの甘い砂糖水に成り果てて、ゴミになるのがオチだ。

もしかしたらこのまま、なんに対しても愛着が持てないままで生きていくのかもしれないし、こういう状況はいままでにないからどうしていいのか、よくわかっていない。実は色々、愛着を持とうとして取り組んでいることがあるにしても、どうしてだろうなぜだろう、なんども同じ日を迎えている気がしている。なのに生きようという意思が消えてない。もしかしたらそれは意思というよりは、ゲームでいうところの設定みたいな話なのかもしれない。自分が思うこととは無関係に存在するこの世のルールみたいなやつで、メタ的にみないと気づけないやつだ。だとしたらもうすでに人生は詰んでいる。

なんて言ってるかももうよくわからないけれどメロウな音楽が心地いい洋楽もどきくらいしか、体を落ち着ける歪みがないような気がしている。それも、おそらくあんまりよくないアプリで違法的にダウンロードして、電波から逃れて聞いているような状態だ。そういうこと、そういうことだよ。点滴みたいにイヤホンをつないでいる。聴きたい音楽があるわけではなくて、埋めたい時間があるだけだ。

そういえば何でもかんでも最近Google連帯承認機能のようなものを使って登録をするようになった。これは本当に危険なことだとわかっている。世界を席巻するような情報会社に自分の情報を売るなんて。けれど、集まりすぎたものは価値を失う。そこにある情報がばらまかれたところで、一瞬小骨が喉に使えるくらいの衝突にしかならないだろう。きっとそれは被害にすらならない。実際、Googleが消滅したらいろんなものが破綻する。今行われているコミュニケーションの半分くらいが消滅するのだろう。けどその状況は、それはそれでおもしろいのかもしれない。縁切り神社の神様みたいだ。


いろんな人がいろんなことを言う。言うだけ言って、聞き入れない。同じ日本語を使っていて、媒体や方法は違っても同じように意味を学んできたはずなのに、全然見当違いなことで喧嘩をしていて、ムカつく。

わたしの言いたいことを言わせているようで、それに向かって全力で噛み付いてくる。わたしの人生に責任取る気なんか全然ないくせに、立場上、そういうことをしてくるやつらが、ムカつく。自分の知っていることを端から端まで押し付けてくるやつらが、たまらなくムカつく。ほっといて、ほっといてほしい。動かないときには動かないなりの理由がある。同時に5人くらいのいうことを聞くことに対して、10人くらいのわたしが狭い頭の中でいちいち会議している。それに気づいてほしいとは思わないけれど、そうしている最中に割り込んで好き勝手なことを言うだけ言って去っていくのがムカつく。同時に、もしかしたらわたしも誰かにとってそういうことをしてるんじゃないかと思うと、どこかに身を隠したくなる。嫌だ、嫌だ、逃げたいと思っている。誰にもどこにも、わたしの跡が残りませんように。


すっきり一人になれればいいのに、どこかで誰かに期待しているからわたしはこんなにも弱々しい。例えば家に帰っても誰もいない状態が普通になれば、孤独にも慣れるんだろう。わたしテレビが嫌いだから、孤独に慣れるのは特に早いだろう。けど、毎日1時間半もかけて眠るためだけにわざわざ家族がいる家に戻って、一言二言交わして、それで眠るのだ。家族はただわたしの生存を把握しておきたいだけであって、それ以上でも以下でもないんだろうと思う。これまでものすごくいい子だったわたしの評判に傷がつかないように、わたしを監視しておきたいのだろう。あるいは、生活力ないわたしの身を案じているのかもしれない。一人暮らしはお金がかかるという、今の所一番の建前になっているその理由さえ崩すことができれば、わたしはもっとわたしが生きたいと思える場所に住み着きたいし、それで危ない目にあう覚悟くらいは出来ている。


マッチングアプリとかいうもっともらしい装いでまかり通っている出会い系チャットに登録して、課金して女の子とチャットしてる男の人を思い切り笑ってやったら、少し気持ちが良かったし、女の子っていう揺るぎないアイデンティティが急にピカピカ輝き出して、風俗嬢まであと一歩のメンタリティが出来上がった。そこでマッチングした人に、全然あう気もないのにお店の紹介を求めたり、嘘のスケジュールを立ててのらくらやっていると、もうほんとうに、なんでもどうでもよくなるし、だいたい人間がワンパターンだということがわかってくる。相手がわたしの趣味に合わせようとしてくればしてくるほど気持ち悪くて、その気持ち悪さからか、こちらもどんどん乗り気になっていくのはおもしろい。話が煮詰まったところで、返信をやめる。仮想であるからおもしろいんだってば、こういうの。いや、臆病なだけ?ううん、面倒なんだ。絶対に気があうはずもない人に1日とか半日くらい費やす意味、全然わからない。