ゼミ合宿2018in 越後妻有

新潟にゼミ合宿にいってきた。なぜ、新潟という遠くて田舎な地域をわざわざ訪れたのかというと、そこで行われている芸術祭「大地の芸術祭」に参加するためである。

アートが町おこし的要素を期待され、日本でいうところのいわゆる地方という場所で行われるようになったのが、だいたい21世紀の初め頃だろうか。このほかにも、瀬戸内国際芸術祭や、最近では奥能登なんかでも芸術祭が開催された。

アートというと、綺麗なもの、珍しいもの、なんかすてきなもの、と理解されがちだが、現代アートの中には、意味の分からないもの、珍妙なもの、なんだかばかにされていると感じるようなものも数多く、賛否は分かれるところだろう。まあどちらにせよ、人の心や関係性にさざ波を立てるものである、とまとめておくのがちょうどいい気がする。こういうことを論文で書くには、いちいち「1960年代に始まるポストモダンの」とか「ヨゼフボイスによる社会彫刻という概念は」などという例を引かなくてはならないが、これは単なる越後妻有合宿レポなので、そういう小難しいことは三段跳びのような軽やかさでもってスルーすることにしよう。

 

ついてそうそう、おそらくフェーン現象と思われる熱風に着々とHPを削られながら、荷物をガラガラ、バスへ乗り込む。最初に訪れたのは、「最後の家」という廃校を使ったインスタレーションだ。ボルタンスキーうっひゃー!私が、「現代アートすごい」と一番最初に思った人だから。彼は、記憶や死を主題として扱うアーティスト。廊下や教室につるされたランプは先生や生徒の御霊のようであり、透明な棺の中の蛍光灯の光が、大量の机や教科書にかぶさった白い布に反射して、部屋中を白く美しい光で満たしていた。廃墟でありながら教会のような神々しさにしばし当然として、爆音の心臓音をBGMに会場を後にする。

 

次に訪れたのは、「脱皮する家」木造の古い家屋をひたすら彫刻刀で削るという変態的なプロジェクトの痕跡を見る。日大の芸術学部の人たちの作品だそう。ていうか普通に建築がいい。その雰囲気に触発されて、自然と口ずさむのは、「さんぽ」。リアルに下り道を折りながら、眼下には棚田が広がる。でっかいオニヤンマが視界を横切る。夏だね田舎だね。

 

再び、廃校を使った展示スペースへ。南極トリエンナーレとかいう珍妙な企画、ランプ養成所、習字の凧などの展示を眺める。暑くて割と限界が来ていたが、校庭にトロッコを発見した我々は、いてもたってもいられずに乗車し、汗だくになってトロッコを漕いだ。こういう時に全力で遊べるゼミ生が友達でよかったと思う。トロッコめがけて駆け出したある女の子の走った跡に、芝生の中から何匹ものトノサマバッタがびゅばばばと沸き立つように羽ばたくのを見て、それはなんだか彼女が小道に生命をもたらした女神のような感じに見えて、本当にいいなと思った。

そのあと、あるゲストハウスで昼食をとって、松代エリアの探索。

「黄金の遊技場」これはよかったね。インドの曼陀羅の中に紛れ込んだような錯覚。外見は普通の古民家なのに、入った瞬間襲い掛かる黄金の暴力。お盆の時によく売られている黄金色の葉っぱのようなものが、壁一面に敷き詰められている。壁に両親がつぶされたトラウマでもあるのかよっていうくらい執念深いその所業に圧倒されつつ鑑賞。絵画や掛け軸も、数を競うようにとにかく飾ってある。富と権力の象徴。クンストカンマ―。おっと、専門用語は使わない約束だった。いやしかしたぶん、この作者はそういうこともちゃんとわかってこの部屋にインスタレーションをしているんだろうなというのが気持ちいいくらいわかったね。

巨大なガレージの中で行われている除雪機の展示も見たけど、なんせ暑いから切実さが半減してしまっていた。除雪機ってとっても大きいのね。シャベルや雪かき道具と組み合わさって、メカっぽい要素がかっこよかった。

農劇場の中の展示も見て、一日目は終了。農劇場の中は涼しくていいね。棚田を舞台にしたドキュメントを空中につるした展示がよかったな。あと、出口がなくなるトイレにも、感服したね。まさか人生で、トイレに感服させられるとはなあ!

そこで展示公開されている部屋の一つ-、床も壁も一面が黒板と化している夢のような教室の床に、わたしは怪獣の足跡を描いた。先生が居眠りしている生徒を起こすために拠ってくる風景、なんだか大人に近寄られるのがいやだった思春期の暗黒時代を思い出す。先生は怪獣。そんな幼稚な妄想に立ち返るのもまた、アートの中に身をおいてこそ得られるものね。

その日の夕飯はへぎそばというご当地お蕎麦だったわけだけど、なんせ昼14時で夕飯17時というそのスケジュールに胃袋が追い付かず、ぐふうとなりながらてんぷらを胃袋に詰め込み、そばをすすった。うーー、ぐふう。

そのあと温泉にはいって、バスでコテージに移動。いやこのお風呂の時間が、一時間とかいうので、意味わかんないと憤慨する女子が多発。もちろん私も例外ではなく。しかもそのあと研究発表とかいう、とってつけたようなゼミっぽい行事のせいで、すっぴん問題が浮上した。「こういうところだよねー無意識にジェンダーに配慮がされてない感じ」「こんなに自然に傷つけられるんだねびっくりだわ」、、、セクハラアカハラフェミニズム等々に敏感な社会学という学問を志す、聡明でかつ、普段ゼミ討論で鍛え上げられたせいで弁が立つわがゼミのみなさまのゲリラ豪雨的な非難には、身内ながら圧倒されますね。(去年の合宿の時点ですでに指導教員との亀裂がマリアナ海溝

 

研究発表会は、発表会というより自己紹介のついでに研究テーマを述べる会になり果てた。人数が多いので3グループに分かれて実施されたこの会で私は最もゆるい教授のグループに割り当てられて、身も心も踊るような気持だった。「まあ適当に飲んで食べてやりましょう」と、シンプソンズのホーマーに似た顔つきのその教授は言った。彼は、乾ききった大地に降臨した豊穣の神のような感じで、我々の研究発表を聞いてくれた。普段指導教員にごりごりにメンタルを削られている我々は、ホーマー似のその教授の圧倒的抱擁間にひざまずき、まさにメシアをあがめるように彼の良さを語り合った。

そんなこんなで一日目が終了した。ちなみにわがゼミの指導教員は、研究発表会の終了時間を予定より一時間超過するという通常運転ぶりで我々をあきれさせた。さて、明日も波乱の予感である。

(寝苦しいコテージで畳の上に雑魚寝的な状況でみんなで寝た。よく考えてみたら大学生女子が全員雑魚寝を許容するとは、本当に根性があるよねみんな…同期ながら、尊敬する。もっと褒められてもいいじゃん)