ポートレイト1

ひと目見た瞬間から、「この人は忘れられない人になる」という予感が身体を貫いた。それは不思議な感覚だった。好きだとか惚れただとか、そういう次元の話はぶんっとどっかに放り出されてしまって、「この人のこと、わたしの人生に取り込みたい」という欲求がグッとわたしの心を掴んだ。一目惚れよりも、もっと鮮烈な力強さだった。

「はじめまして。よろしくお願いします」

通り一辺倒の挨拶なのにそれは福音のようにわたしの耳に響いた。やわらかくて、春風みたいなその声は、わたしが彼の中でいちばん最初に好きになった部分だった。

立って彼と話すとき、わたしよりもはるかに長身な彼を見上げるようにして話さなければならない。黒い四角いフレームの眼鏡が真面目な印象をあたえる。おまけに少し癖がかかった、遊びを知らない黒髪だから、余計に真面目に見える。もっというなら、理系の学部の彼は実験の際に白衣を着るというのだから、そんなときの彼は余計に余計に真面目に見えてしまうに違いない。わたしは彼の白衣姿を見たことがないけれど、見てしまったら正気を保っていられるかどうか。

眼鏡の奥の瞳はぱっちりと二重で、すてきな景色をたくさん見た子どもみたいにきらっとしている。わたしは、どこを見ているんだか、なにを考えているんだかわからない横顔をこっそり眺めるのが出会ったときから今まで、ずっと好きだ。

彼は、人に聞かれないと自分の話をしないから、彼と話すととても楽しい。出会った当初は、そのやわらかい声と穏やかさしか見えていなかったから、純朴で優しい人だと思っていた。わたしは記憶の中にいる彼のその優しいところを甘く、甘く編集していた。最初にあったきり、3ヶ月近く会えなかった、そのあいだに。

ふたりきりで話してみると、彼は想像していたよりもずっとたくましくて、ゴリゴリに理性派で、自分でも言っていたけど「あまのじゃく」で、容赦がない。

「キュンとする要素ひとつもないでしょう」

彼は自虐的にそう言ったけど、そう言ったときのも身振りも照れ笑いみたいな表情も、わたしに言わせればグッとくるところだらけだ。魅力がダダ漏れていることに気づかないから、罪な人だよなと思う。

真面目な顔で真面目なことを言ってる彼はそれだけでセクシーだ。ちょっとしたゲームにさえすごく真剣になってる顔は、まともに見られないくらいセクシーだ。この魅力に、わたし以外の誰も気づいていないんだとしたら、みんなはなんで損をしてるんだろう。でも、わたし以外の誰も知らなくていい。

一度、対面で一対一のボードゲームをしたことがある。3回くらい私を負かして、屈託なく「おもしろかったね」と笑った。ゲーム中に手加減はしないくせに、これ以上負かしたら可哀想、という優しさはあるらしい。

彼は身長が高いけれど、細身で撫で肩なせいか、存在に威圧感がない。だから、一緒にいると心地いい。いつも誰かのために自分心の中の半分くらいスペースをあけておいているみたいな余裕がある。誰と一緒にいてもすとんと馴染む。

この心地よさを感じているのはきっとわたしだけではないだろう。だから、彼の周りからは人がいなくならないし、彼がいないと必ず誰かから「あいつは?」と声があがる。リーダーシップはとらないくせに、いないと妙に不安になる。みんなの輪の中にいる彼は、みんなのことを穏やかにゆすってあやす、ゆりかごみたいだった。

「人当たりがいいのは、親の転勤が多くて、転校しっぱなしだったからかもしれない」と彼は自分の性格について語った。強固な自己を保つことよりも、他者を受け入れることでその場に馴染んできたらしい。「転校寸前に、金八先生の転校生がいじめられる回を見てしまって、怯えてた。ずっと喋らないでいたら石像っていうあだ名がついちゃって。それで反省して、頑張って話すようにしたんだ」そんな些末なエピソードさえ、面白おかしく語るから、彼の話には耳を傾けずにはいられない。

「就活でいいなとおもうところが東北の方あるんだけど、着陸寸前、風が強くて着陸できないってなって、東京にそのまま帰って来ちゃったんだ。リスケしてもらえたけど、自分の中で集中力が切れちゃった」

それは不運だね、とわたしは心底同情した。

「そう、そうなの、本当に最近不運。だってチョコボールもさぁ…」

「はっ?チョコボール?」

「うん。今年に入って、エンゼルがぴたりと当たらなくなった」

いつから集めてたの?ってかなんで集めてるの?就活の愚痴と並列するほどがっかりなの?どこから突っ込んでいいか分からない話に笑いが込み上げる。どうしてそんなに悲しい顔してるんだ、チョコボールくらいで。

「前にエンゼル当てたことがあって、すっごく嬉しかったんだ。また集めたいなと思って。研究室のみんなでやってるんだよ。みんなちゃんと買ってるのに…全然あたらない。あれって、見分け方があってさ」

彼とその話をしてから、しばらくわたしのおやつはチョコボールになった。

 

彼のことは、少し知った気になっていたけど実はまだ全然知らない。でも、ちっとも焦っていない。少しずつ知っていけばいい、いや、むしろずっと知らないままでもいい。あなたのこと知りたいからそばにいたいわって、しわくちゃになっても、言ってみたい。