本の感想『革命前夜』

 

『革命前夜』須賀しのぶ

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舞台は東西分裂時代の東ドイツ。教科書のように正確なピアノの演奏を得意とする主人公マヤマシュウジがバッハの故郷へ留学し、そこで出会う音楽仲間との人間関係を描く青春小説です。

氷のように冷たい殻で心を閉ざしたオルガン奏者や、偏屈だけれど天才的な演奏で聴衆を魅了するバイオリニスト、いつも喧嘩腰のピアニスト、そのほか大勢の主人公を取り巻く魅力的なキャラクターにかこまれながら、主人公は東西分裂時代の東ドイツで翻弄されます。
心優しい主人公は留学生という余所者の身分でありながら、その社会にいる人たちに音楽を通して共感し、力になろうと努力していました。そう、彼らを繋いでいたのは音楽、なんですよね。愛憎入り混じる感情をお互いに抱きながら、それでも相手の演奏に惚れ込んだり、まるで花束を渡すように楽譜を託したり、高らかな宣言の代わりに演奏会に招待したり。彼らのコミュニケーションをみていると、演奏や音楽は言葉以外で気持ちを伝達する役割を持つことが、よく分かりました。
彼らは音楽を通した交感で心を開いたり、またある時は相手を打ちのめすようなことをしていました。音楽が言外に秘めている力というか、その説得力が凄まじい。

それを描くには、一人ひとりのキャラクターを明らかにすることは必須だし、ある環境の中で音楽がどのように扱われるか、響くかということをかなり意識的に配置しないと伝えきれないことだと思います。この小説はその塩梅が、私にとってはとてもおもしろく読めるものでした。
彼らを取り巻く社会状況は、1960年代の東ドイツです。市民相互が監視し合う、気持ち悪い緊張感が常に付き纏う社会であったことが、登場人物の過去を通じて生々しく描かれます。その冷たい社会の風景は、ある種ディストピア小説のようですが、これはかつて現実にあったこと。このような社会の中で、音楽がどれほど人々の安らぎであったか。また一方で、政治的な役割を背負わされてしまうものであったかを考えました。


革命の萌芽が至るとこで見られて、社会が音を立てて崩壊(ある意味解放)していく中で、主人公は友人の亡命やライバルの致命的な怪我など、様々な事件に遭遇します。物語の後半、主人公が想いを寄せるオルガニストの過去が明らかになるあたりからの急展開はジェットコースターみたいでした。遠慮がちで鬱々としていた主人公が、泣いたり怒ったり大忙しで。周囲のキャラクターの動きも相まって、あー!えー!うそ!という気持ちにさせながら、物語はベルリンの壁崩壊へ。

結末は全てがハッピーエンドというわけではありませんでした。だけど確かな、もしかしたら一番欲しかったけど予想していなかったプレゼントを、主人公も読者も受け取ることになります。


こんな素晴らしい世界を想像させてくれるのは、筆者の巧みな文体に他なりません。クラシック音楽を思わせる格式高い文体のところもあれば、主人公や他の登場人物の心のゆらぎを丁寧に描く一人称の文体は、巧妙なバランスを保っていました。 


音楽を描写する文章は、本当に音楽が聞こえてきそうなほど。いや、言葉による音楽の描写を通して、絵画のような風景、あるいは味覚や心臓をドンと突かれるような身体への衝撃などを感じた、と言った方が正しいかもしれません。五感をフルに活用しての読書は、一つの確かな「経験」になってお腹の中に沈んでいくようでした。

 

というわけで、『革命前夜』。
とっても楽しい時間でした。