ゼミ合宿2018 in越後妻有

 二日目、雑魚寝のせいでバキバキになった身体を強引に動かして起床し、一行は清津峡谷トンネルへと向かった。長い長いトンネルの途中途中で切り立った峡谷をのぞくことができるようになっている。最終地点には、水鏡があり、人の影も風景もそれに反射してとても幻想的に見える…はずだったが、人が多すぎてそれどころではなかった。

トンネルというのはそういえば、おそらくここの地域の人々にとって切実な問題なのだろうと想像できる。山を掘削して、村をつなげる。外へ出ていこうと、道を作る。

トンネルは、普段あまり歩いて通ることはないから、なんだか新鮮だった。このトンネルを歩いた後バスに乗って通ったトンネルには、それまで以上の親近感がある。こういう、疑似体験のようなものもアートを通じておこなわれることの特性の一つだと考える、トンネルを歩いたことがある人生と、そうでない人生とではトンネルや山、道や車、暗闇というものへの配慮や考察がきっと違う。だから私は言いたいわけだ。アートっていうのはね、非日常でね、本当に楽しくてね、それを知る前と知った後では、まるで世界が変わって見えるんだよと。中学のころ、美術が嫌いすぎて、自分には美的センスのかけらもないから、美術たしなむ能力なんて皆無と思っていたあの時の自分を張り倒したいね。そんなことをぼやぼやとバスの中で考えながら、磯辺行久の展示へと向かう。


磯辺行久とかいう人がどういう人間か行くまでは全く知らなかったし、最初の展示室が新潟の地図で、正直、「いや知らんがな…郷土資料館かよ…」と思って、鑑賞する気を失いかけたが、ちゃんと見ると、そのスケッチの緻密さやめまいがするほど膨大な量の地質調査の記録に圧倒された。そう、文字通り圧倒された。展示室を追うごとに、アートとしての磯辺のたくらみが徐々に明かされてゆく。ちなみにだけど、美術大学の卒業制作で、規定にない抽象画を制作したせいで卒業を逃すなど、かなりアナーキーな若者だったことがわかる。

インタビューの映像の中の彼は語った。「新潟のこの地域はね、信濃川が作った地形なんですよ。だからね、その川のこと勉強しようってことでね」

かつての土石流の位置や、川が流れていた高さは、現在とは異なっている。磯辺はその違いを、足場を組むとかポールを立てるという方法で、新潟の「大地」に直接建設した。なんかその活動記録を見た時に、ああ、これは新潟でやる意味があるんだなというサイトスペシフィックな感動を得たというわけだ。その展示を見た後では、車窓に映る棚田や川の風景がまた違った色を帯びてきて、新鮮だ。

バスの移動では、断片的にしか場所の情報を得ることができない。しかも、その移動中でさえも眠っていることが多いため、夢と夢の間に作品を見るような感じになる。しかも、行く先々で嘘みたいな作品が展示されているわけだから、現実と夢の区別は一層曖昧になる。こういう、鑑賞の方法のちがいがもたらす鑑賞体験の違うもまた、この芸術祭の面白みの一つではないかと思った。考察でも批判でもなく、これはただの感想。

 

ある野外作品を鑑賞していたら、アート大好きおばさまと思しき暇人がやってきて、作品の近辺で写真撮影や鑑賞をするわたしたちを見て、これ見よがしに「やだ、写真撮るだけでしょどうせ」「いやなタイミングで来ちゃったねえ」などという陰口をたたいている、というのを人づてに聞いてから、ぐうっと暑さが身に応えて、もうなんにもしたくなくなった。いらだちとあきれと怒りと悲しい気持ちがぐちゃぐちゃとして、バスの中でそれを聞いた私はその感情をどこにもぶつけることができなくて、ただただ笑うしかなかった。わたしたちのことをそう思ってもいいし、見た目的にそういう子がいるのも事実だし、実際、写真を撮ることを楽しんでもいるし、暇人老害マダムを面と向かって非難するわけにもいかないが(こんな呼称をつけた時点で敵対心は100パーセントなわけだが)、それが作品を目の前にして言うことかよ…とおもったね。できることなら、わたしたちがこれまでしてきたアートの勉強のことをまくしたててやりたかったし、地域アートについても存分に議論がしたかったな。

 

まあ、それはいいとして。


アートがアートの形をしていないっていうのが、わたしは好きだなーと思った。アートはあくまで手段であって、それまでのリサーチをまとめたら、アートになった、というようなもの。

もちろん、芸術は芸術として成立することがいい、と思う人もいるだろう。どっかの小説家は芸術は虚無だから美しいんだというような意味のことを言っていたようななかったような。だから、芸術は芸術として自律的に存在しているんでも、いいのだと思う。ただ個人的な好みとして、「結果的にアートになった」みたいなアートの在り方もあっていいんじゃないかなと思っている。

 

そのあとのは、なんか、シンポジウム的なものに出席し、地元の祭りを見学。商店街で屋台が出されて、暗くなってからお神輿が出されるっていう、よくあるお祭りだ。現地の人々は三日間、この祭りを楽しむそうだ。

その日の夜は、コテージに戻って飲み会。缶チューハイとか買い込んで、おつまみ適当に買って…っていう、大学生によくあるやつ。女子部屋として使っているコテージに教員が乗りこんでくるっていうのは、まあ例によって大ブーイングだったわけだが、それなりの時間にお開きになってよかった。