Pandora

ダンテによる傑作、『神曲』は、ひたすらむごい地獄編と煉獄編はとてもおもしろいが、ベアトリーチェとの再会を果たし無事昇天する天国編は死ぬほどつまらないと聞く。人は幸福な話を書くと、突然陳腐になるらしい。

本記事ではわたしが愛してやまない彼と過ごした1日を、好きピ最高盛りだいしゅきマシマシ尊みマックスで書くので、関係ない人からしてみたらマジできもいし、しぬほど引く。関係ある人からしてみたらマジで狂気を感じるし、同じく死ぬほど引くかもしれないし、完全に退屈で、なんだこれはとムカついて来るかもしれない。
けれど、世界でいちばん彼を愛するわたしとしては、言語化という作業は避けて通れない。わたしの心に映った彼の影や残像を少しでも多くつなぎとめておく必要が、わたしにはある。尻尾を捕まえたい、思い出を抱きしめておきたい、身体中に刻みつけておきたい。五感全部が彼を覚えていますようにと願いを込めて。

 

さて、これは彼からの事務連絡にも似た連絡に調子に乗ったわたしが誘ったことでようやく成就した遊びの約束だ。なんとなく、遊びたいんだけど~というふにゃっとした誘いを彼に持ち掛けると、だいたい固形になって返ってくるので、わたしはそれがとても好きだし、彼の提案が飲めないことも全くないので、本当に頼りにしている。

どういうわけか、「自然が多いところがいいな」ということで、都内から一時間ほどで行ける高尾山に行くことになった。

最近髪をさらに短くした私は、山登りの格好をすると完全に少年のような外見になるのでやや不安だったが、彼は人の容姿に全くといっていいくらい言及しない人なので、そういう悩みは通り越している。けれども後で振り返った時にあちゃあーと思いたくないので、何回も鏡の前で着替えなおした。

待ち合わせは10時30分高尾駅。これは彼が決めてくれた。二人が合流する駅をと、山頂で昼食をとることを見越してちゃんとルートも時間も調べて割り出した時間を一発で決定して送ってくる。彼のこういうところは、全く煩わしさがない。むしろ文面だけだと素っ気なさすら感じるくらだから慣れるまで不安なんだけど、案外そうでもないんだな、とわかる。

待ち合わせ場所で彼を見つけたら、きゅっと体の奥が緊張して、頸の裏にぴりっと電気が走る。始まりにわくわくして、でも、今日でここ数日間ずっと楽しみにしてたことが終わってしまうことの残念な気持ちもある。

 

ざっくりと近況を報告しあう、進路がどうとか、そういう話。三か月間くらいあっていなかったから、どんなことをしているのかお互い不明な状況であった。そのブランクも怖かったけど、話始めたらいつもの感じだ。あっという間に、その子が私の日常にいた時の気持ちにすーっと戻って、安心した。高尾駅から高尾山口まで京王線で移動し、行きは山登りっぽいコースの6号路を選択した。道中で写ルンですを見つけたけど、高くて買うのを断念した。けど、買っておけばよかったと今になって後悔している。

 

山に登っていたら、思ったより暑くなってきて、え~~あっつくない?なめてたなあと2人して反省。黙々と登り続けていて、山自体のことそんなに観察していなくて、

「ほんとたのしーね、たのしいよ。」といってくれた。何がそんなにたのしいのか、正直わたしにはわからなかったが、とにかく平日に山にいるということ、それだけで彼は楽しかったらしい。

 「いつもこの時間研究室にいるからさあ、こんな人生もあるんだなあ~って」

 彼がペットボトルのお茶を飲んだ後に、ちょっと周りを見渡しながら、自嘲気味に言ったそれを、わたしはただ無言でうなずいて受け入れるほかなかった。あまりに嬉し過ぎたので、ほかに言葉が出てこなかった。彼にとってわたしはありふれた存在になりたくないし、安心感も新鮮味もできることなら同時に全部与えたいと思っている(なぜならいつも彼にはそうしてもらっているように感じているから)。ふさぎ込んでいるなら連れ出したかった。それが叶ってよかった。心からよかった!

 

ズルっといったり少し険しかったりすると、一歩先を行く彼は度々振り返る。わたしは足元に気を取られているから一度も目は合わないけど、彼のつま先の向きでわかる。そういうのってふつうとってもキュンとくるシチュエーションなんだけど、無言で確認して先へ進む様子は、宝物へ案内する山の主が化けた狼か狐のような感じがしておかしいので、笑いが先に来た。
彼はひとかけらもロマンチックを用意しないやつだ。わたしに触れようともしないし期待もかけない。下心などまるでないように振る舞うし、実際に多分ない。それが逆に、お互い変な温度差を生み出さないで済んでいることや、彼が警戒心を抱くことなくこうして誘いに乗ってくれることの要因であるとも考えられようが、これ以上近くも遠くもならない決定的な原因はここにある。実際、会うまでは、curly ray jepsen の call me meybe を聞いたりして思い切り片思い気分をぶち上げるし、前夜の私ときたら入念な顔面マッサージとハンドケアと全身の保湿に余念はなかった。今朝だって5回くらい服を着替えたし、何度も鏡の前に立ってあちこち確認した。わたしは全力で全身全霊で、片思いをする健気かつ戦略的な女子なのである。

 しかしひとたび彼の前に立ったらそんなものはすべて無効だ。

 

山頂ではおやつ食べがらのんびりした。話していると驚くくらい、共通しているところがあった。論文書くとき川の流れのBGMをかけること、動物が可愛いことしてる動画かテレビの放送事故をよく見ること、好きだった最近のドラマのこと、この世界の片隅に、についてのこと。中学時代は風紀委員的なクラスの中心にいたのに、高校では部活以外に友達がいなくてろくに後夜祭にも出なかったこと。

私を見てにこっと、この上なく優しく笑う。わたしが直視できないくらいの微笑みを浮かべて。あーもう本当その顔やめて、なんで笑顔だけでお返事するんですか。
うう思い出しただけでグッと来ちゃう。

 声が優しいんだ、彼のどこが好きなの?と聞かれたら真っ先に、声!と答えるだろう。柔らかくて棘がない、透明度が高くて大きすぎず小さすぎず、言葉の発音も文句なしに綺麗で、話す早さもちょうど良くて、全体的に明るくてちゃんとこっくり甘さがある。澄み切った湧き水に似ている。天然の水晶かも。大袈裟だと思う、こういう点だよね、読んでいる人を置いてけぼりにしちゃう惚気って。

 

山頂ではあったかい山菜そばをいただいた。蕎麦がとてもとてもやわらかく、あれ…?これほんとに茹でたてか?と2人して疑ったが、味が濃くておいしかった。

帰りは、舗装されていて楽に歩ける1号路を優雅なお散歩のような感じで歩いて帰った。途中の神社やお寺を見学しつつおみくじ引きつつ。
最近研究うまくいってない彼は引くのを渋っていたけど、結果大吉。なんだよいいじゃんか。わたしは末吉。いいわ,幸運はあなたにぜんぶあげる。

 いつも神社に来るとお参りわかんないんだよなあと言いながら、「二礼~、二拍手、、」と呟きながらお参りしててウケてしまった。

猿園に入って、様々な餌を与えられる猿を眺めた。本当に飽きなかった。かわいいねーとかなんとかいいつつ。テレビクルーが入っていたので猿にいろんなことをさせているのが観れたのでおもしろかったな。だいぶ長い時間、それを眺めていた。
そのあと、バードウォッチング小屋とやらに入るも何もなく、耳をそばだてて聞いてみるけどもカラスと外人の話し声しかしなくて断念。

 

そのあとふたりでリフトに乗って下山した後、まだ時間があったので、トリックアートミュージアムに入った。

序盤、いや全然楽しくない、これはミスった、と思ったのだけど、まあ入っちゃったからなあって感じでとりあえず見たらだんだん目がトリック仕様になってきて、お!お!おもしろいじゃん!となった。とくに写真撮り始めてからはほんとうに没頭した。君は写真撮られるの嫌いじゃなかったかい?と思って控えていたけど、いや!これは撮らなくては楽しめない!ということなので、あんまり乗り気ではない彼を撮影して見せてあげると、なるほどねっ!て乗り気になってくれて、インスタグラマーのようにパシャパシャ撮りまくった。

とにかく、参加して果敢に絵に挑みかかる必要がある美術館だったので、あまり穏やかではいられないという点では、普段の美術館と違うのでそれに慣れるまで時間がかかったけど、あーだこーだ言いながら写真を撮るのはとても楽しかった。人も少ないし貸し切りスタジオみたい!

重力がめちゃくちゃになっている部屋でふたりしておえーっってなったり、だまし絵の中に勝手に動物を出現させたり、伸長逆転したり、万華鏡のぞいたりいろいろたくさんあそべてよかった。

ミュージアム出ると無料でお茶がもらえたので、夕方の涼しいテラスでそれを飲みながらいろいろおしゃべりをした。

 


「今日リフレッシュできたからまた明日から頑張れそう。」

 

 

くううっ・・・

 

これがいっちばん嬉しかった。嬉しくて言葉にできない。

誘ってよかった、この人は本当に本当に優しい人だ。こんなに自然と言葉にしてくれるこの素直さよ。
いきなり誘って迷惑じゃなかろうか、彼にとって今日は楽しい日になっただろうか、嫌われないだろうか、また遊んでくれるだろうか………誘う側としては不安は尽きない、でもそんなこと全部吹き飛ばして最高に変えてくれたのだ。

 

あなたはわたしをお腹から、全身で笑わせる。テーブルの上だけでニコニコなんかしてられない、両手両足全部投げ出して、肩を震わせずにはいられない、まさに抱腹絶倒。久しぶりにわたし自身の笑い声が指先まで満ちるのを感じた。お酒で強引に開けるものじゃない感覚の箱を、あなたはこんなに簡単に開けてしまう。嫌なものも邪気も怒気もぜんぶ溢れて流れて浄化され、わたしは、その箱に残った幸福だけを強く固く抱きしめることができる。
それは全く幸福で、ああ、このためにわたしはあなたが大好きだ!と思う。

こんなにもこんなにも大好きだけど、いつもそれは伝えそびれてしまうのだ。その人といると、わたしの感情ぜんぶ差し出すのが正しいことのようには思えなくなる時があるから。私が素直ではないのも、大いにあるのだけど。

でもひとたび離れたら、何度も焦がれるくらいに思い出す。どこにいても何をしていても、これを一緒に経験する相手が彼だったらいいのに、と思う。心から思う。

 

恋かしら、なんなのかしらね。もはやこうなってくるとわからないけど、でも、あなたのこと大好きな気持ちは変わらない。初めましてと声を聴いた日からずっと、苦しいくらいに変わってないの。