ハッピーバースデイ

 「俺、『僕の初恋を君に捧ぐ』のタクマと同じ病気だったんだよね」

『僕の初恋を君に捧ぐ』を見ていなかった私は、その病気がいったいどんなものなのか知らなかったから、へえ、そうなんだ。という返事しかできなかった。

彼の手首にたばこでやけどしたみたいな小さな丸いあざがあって、もしかしたらこの人はすごく危ないのかと警戒していたことだ。だけどそのあざは本当は、以前数回にわたって受けた手術の跡だった。

ちなみにあざはその一つだけじゃなくて、肋骨の下にも多分8個くらいある。それから、反対の腕にも。

 

「俺、『僕の初恋を君に捧ぐ』のタクマと同じ病気だったんだよね」

そんな風にことさらに、わたしの恋愛を少女漫画に寄せなくてもいいのに、と心の底で思っていたのも事実だ。その漫画がどんな結末なのか、わたしは知らない。タクマがどんなつらいめに合うのかも知らない。ウィキペディアで調べてもただ、「心臓病」としか出てこなかったから、具体的にどんな病気なのかわからなかった。

 

「心臓の形が違うし、心臓の部屋が一ひとつ足りない。それから血も正常に流れてない。生まれたときはそんな感じ」

彼以外にも心臓に障害を持って生まれた赤ちゃんが4人いたという。

彼らは手術室に順番に送られていき、そして残らず花束になって返ってきた。その中で、今私が対面しているその青年だけが、無事に延命措置を終えて生還した。

 

「延命だったの。ほんとは18歳までしか生きられなかった」

そんな風にことさらに、わたしの恋愛をドラマチックにしなくてもいいのに、と思った。

だけどわたしは、そのときの彼の気持ちを想像することがやめられなかった。18歳?ちょうど大学受験で必死な頃じゃない?周りのみんなが進路のことを話しているのに、彼はそこでどんな気持ちでいたの。

将来がないって、どんな感じなの。

もちろん、怖くて聞いていない。今でも。

 

「でも俺が生きてる間に技術が進歩して、ちゃんと治る手術をしてもらった。俺の心臓の半分は牛の心臓なんだよ」

この話をしているとき、私と彼はお好み焼きが焼けるのを待っていた。あんなにうるさい鉄板の音のことを覚えていないっていうことは、わたしはだいぶ彼の話の中に入っていたのだと思う。牛の心臓なんだよ、というときの彼は「ねえ、おかしいでしょ」というように笑ってた。まるでそれがすべらない話であるかのような陽気さで言った。

 

全身をえぐる痛みに獣みたいな叫び声が止められない日もあったし、管を通すために舌の左半分が切り取られていたこともあったという。

手術後目を覚ますと、人の体とは思えない自分の体の状態に絶望したんだと、彼は私に話してくれた。

胸のちょうど真ん中には結構しっかり手術の跡がある。もともとやせ型で胸筋もあまりない人だから、浮き気味の肋骨と合わせて余計に痛々しく見えるのだ。

私は時々それをなぞるけど、そうすると私の胸にも痛みが転移したみたいにウウっとなってしまって元気がなくなる。

 

「5歳の時に手術を受けたんだけど、そのとき俺、クマのぬいぐるみを持っていきたかったんだよね。で、持ってきてもらったんだけど、ジップロックで密封されて持ってこられたの」

「あのね、入院中って入浴ができないから体中の毛を全部剃るし、身体を拭いてくれるのって実習生みたいな若いお姉さんなんだよね。思春期ズタボロだよね」

「留学とか行けないからさ、病気で飛行機に乗れなくて。だからめちゃめちゃ頑張ったよ」

 

今彼は、大好きな車を乗りこなしてどこにでも行けるくらい元気だし、お酒もたばこも好きなようにやっている。病弱な少年という影がどこにもなくて、逆に「三回くらい死にかけてっからな、簡単にはへこたれねえよ」と強気だ。

骨折はおろか、虫歯だってしたことがない私には到底想像できない修羅場を、彼は乗り越えてきたのだろう。

そうしてわたしのところに流れ着いてきた彼に、あるいはわたしが流れ着いた彼という人に、正直引け目を感じることもある。わたしが簡単に踏み込めない世界のような気がして。

 

 

彼は20歳を超えてお酒を覚えてからは、女の子をとっかえひっかえして遊ぶウェイになった。

毎日違う女の子とに飲み歩いて、クラブでナンパしまくって、「都道府県の数と同じくらい」の女の子と寝た。4年付き合ってた彼女に浮気されたり、社会人になってからはプレゼントを買ってもらうためだけに言い寄ってきたような女と仕方なく付き合ってたりもした。

それらすべてを経て、今はわたしの隣にいてくれている。

初めて会ったとき、飲食店のメニューを差し出しただけで「優しいんだね」といわれた。そのときのちょっぴりおどろいたような声とまなざしとで、いままでどんな女の子を相手にしてきたのかすこしわかった気がした。

だから、わたしをそばに置いておく限りは、安心してよっていいたくなっちゃった。

約束もろくにできない、22歳の小娘のくせに。

 

Pity is akin to love.

『可哀そうだたあ、惚れたってことよ』

 

最初の頃は、そうだったかもしれない。

だけど今は少しも可哀そうなんて思っていない。

強くて頑張り屋さんで、毎日毎日飽きることなく愛を伝えてくれるまめな人だ。わたしが日々を頑張る糧になってくれている人だ。

わたしは欲張りだから「あなたがいれば他なにもいらない」なんて謙虚なことは言わないが、「あなたがいなければとても退屈だ!」とは言うだろうし、そういう理由できっとあなたを3日に一度くらいは求めるだろう。

 

わたしは、彼に抱きしめられるといつも心臓の音を聞く。

牛の心臓かあ、と思いながら聞く。彼は知らないだろうけど、スーパー銭湯の休憩処でうたた寝している彼の胸にそっと耳を当てて確かめたくなるときがある。

少し早くて落ち着かない、その心臓の音を。

 

 

『ほんとは18歳までしか生きられなかったの』

たくさんのことを乗り越えてきてくれてありがとう。

25回目の6月28日だよ、お誕生日おめでとう。

今日は楽しく過ごそうね。