死んだ犬の話

彼と会ったのは私がまだ世の中のことなんにもしらない子どもだったころ。

ハムスターの餌を買いに来たペットショップで、気づいたら、お父さんの手のひらに小さい犬が乗っていた。お母さんが、見たこともないくらい甘い笑顔で、「どうしよう」と言って、その毛糸玉みたいな毛むくじゃらを抱いていたのも覚えている。

その年の夏休みの宿題に、「新しい家族が増えました」と書いて、それはクラスメイト達の他の思い出と一緒に教室の後ろの壁にひっそりと飾られた。国語の授業でニュース番組を作ろう、という授業があって、その時にその「新しい家族」がクラスメイトみんなにお披露目された。私がめちゃくちゃ乗り気じゃない犬に服を着せている映像だった。

 

2キロくらいにしかならなかった、小さなヨークシャーテリア。その犬がつい最近(2021年11月1日)15年の犬としての人生をやめて、天国へと旅立った。彼が死んで、1か月が経つ。

花とか、買った方がいいのかな。彼はボーロ(もちろん犬用)が好きだったので、ボーロ(もちろん人間用)を、ワインのおつまみにしようかな。今日は君のためにあるよ。これから先の人生、カレンダーをめくるたび、私は彼を思うのだ。

 

すごくハンサムで、銀色の毛並みが美しい、よい犬だった。親ばかとか関係なく、本当に世界一美しいヨークシャーテリアだったと思う。2006年6月2日から2021年11月1日の間にこの世に存在したすべての犬を比べることができるなら、間違いなくうちの犬が一番美しいのだ。しかし世間はこれを親ばかと呼ぶ。

「いい犬だね、すてきだね、かわいいね」って、毎日呪文みたいに唱えていた。なんかい言っても足りないのだ。届いていたんだろうか。少しはわかってくれていたんだろうか。

 

ヨークシャーテリアは、気高く独立心が強く、基本的にはなれ合わない犬種とされている。うちの犬は、まさに、そんなヨークシャーテリアの鑑であった。あまりなつかなかった。「おいで」と呼んでも来ないのだ。

だから、いつも私の方が甘えていた。いやなことや悲しいことがあると、丸まって寝ている犬のおなかに顔を突っ込んで、話を聞いてもらった。とんでもなく獣臭いときもあったけど、シャンプーをして5日後くらいには、シャンプーのにおいと家のにおいと犬のにおいが混ざって、いわれもなくいいにおいになっていた。その匂いが世界でいちばん好きだった。

 

食いしん坊なので、食べられそうなものは何でも食べていた。机の上に出しっぱなしにしていたマシュマロの袋が空になっていたり、いただきもののシフォンケーキが食い荒らされていたりした。自分の顔よりも大きいケーキにかぶりつくときって、どんな気分なんだろうな。甘くて、おいしかっただろうな。

ダイニングテーブルに上るようになって、お弁当を食べられたこともある。あの時はなんだか、犬と思えなくて普通に、「お弁当とられた(怒)」と思った。

そんな時は毎回、樽のようなおなかになっていて、心配した母が病院に担ぎ込むのだが、毎回、検査の上では問題はなかった。翌日、二日酔いに倒れた人間のように具合悪そうにしていたけど。

 

犬は全部私の悲しみを引き受けても、けろっとしていた。お代はボーロ、時々お散歩。それから冬は、私の部屋の電気ストーブ。

今まで悲しいことは全部犬が解決してくれたので、犬が死んだ日も、「こんなに悲しくても大丈夫。犬がなんとかしてくれる」って一瞬思うんだけど、肝心の犬が目の前で死んでいるので、また悲しくなる。忘れたくないのに、忘れるしか立ち直る手立てはないんだろうか。

 

私は9月に東京に出てきて一人暮らしを始めたので、弱りゆく犬のすべてを見ることができなかった。定期的に実家に戻ってはいたものの、私が最後に帰った日は10月18日で、犬が本当に体調をダメにする3日前だった。

その時はごはんもよく食べて、散歩までした。目がよく見えていないので、とてもゆっくりとしてた散歩だった。秋の陽気の中を行くあの時には、もう彼にはそこが天国が現実か、わからなかったんじゃないのだろうか。

おぼつかない足取り、定まらない焦点。老犬のそれらは、何となく俗世間から一歩距離を置いているように見える。「少し、神様に似た?」と思ったあの日の私の直感は、間違っていなかった。

 

3日後、食事をとらなくなり、起き上がらなくなった。様子がおかしいと感じた両親が病院に連れていくと、ちいさな胃腸が細菌感染を起こしていた。すぐ手術になった。体力が落ちているし体も小さいので麻酔から目覚めるかわからないという注釈付きの手術だった。

そのとき、「きっと犬のことだから、戻ってきたいと思えば目を覚ますし、もういいやと思えばすっと旅立つだろう」と思った。私は冷たい飼い主なのかな。もちろん彼を失いたくなかったけれど、手放したくないという理由でおなかを切ったり、管につなぐのは、嫌だった。今回の手術は、不調の原因を探るための手術でもあった。どうして死んだのか、誤飲など、飼い主の過失によるものであるなら、それは引き受けなければならないと思ったから。

結果的に犬は、手術後30分経たずに目を覚ましたという。結局細菌感染の原因はわからなかった。しかしその手術のおかげで体内の悪いものをすべて洗い出し、少し元気になった。エリザベスカラーを付けて家に帰ってきた犬は、二回りくらい小さかった。よろよろと歩いては、家のいろんなものにぶつかった。でも帰って来てくれてありがとう、と思った。もう少しだけあなたと、話ができる。

 

10月31日の深夜から、呼吸音が壊れた洗濯機みたいな感じになり、母も私も眠れなかった。交代で犬を見守り、気づいたら、朝。11月1日、とても天気がいい朝に、彼は旅立っていった。犬の鳴き声が3つ揃う日が命日なんて、きっと世界中の犬がうらやむに違いない。

その毛玉から命の気配が消えたとき、薄いレースのカーテンを開いてみた青空。彼が向かう天国の扉は全開で、きっと迎え入れてくれるだろうという気がした。

 朝の8:00だったので私も母も妹もそれぞれ仕事やバイトに行ける時間だったが、誰もそうできなかった。犬としてはできるだけ迷惑をかけずに旅立ちたかったんだろうけど、残された側としてはさすがにそうはいかないよ。

 犬が死んだ後のことをiPhoneで検索した。「犬 死んだあと」「犬 葬儀 必要なもの」「犬 遺体 腐敗防止」「ペット 葬儀場」。母と私と妹と、泣きながら「内臓のあたりを冷やさなくちゃ」「ホームセンターにペット用棺があるらしい」などと情報を交換し合った。結局何がどうなったのかわからないまま、私は放置できない仕事をこなしに、会社に向かう電車に乗った。

 

死後、家族で自分の古いケータイやiPhoneに収めた犬の写真を共有しあった。たくさんあるようで全然ないし、全然ないかと思ったらけっこうたくさんあった。みんなそれぞれ持っている写真が違うので、こんなことしてたんだ!ってびっくりしたりもした。死んでからもまた、犬と出会いなおした不思議な感覚だ。懐かしい写真で笑えたりもして、でもやっぱり涙は出てくるから、どういう風に話していいか全然わからなかった。でもやっぱりかわいい。でもやっぱりもういない、もう会えないんだよね。でもやっぱり、でも、やっぱり。これから先何度もこれを繰り返すのだろう。

 

犬が死んだ日に水につけたチューリップの球根の根が、ものすごい速さで伸びてびっくりしている。まさかチューリップになって帰ってきたのか?もうすこし長く一緒にいられる姿で戻って来てよ。わたしは15年間あなたを愛して、愛して、愛したのだから、もしその魂が違う姿をして現れたなら、一番に気が付くよ。そのためにこれから生きていくようなものだよ。

 

何度でもいうよ、朔日は君のためにあるよ。

これから先の人生、カレンダーをめくるたび、私はあなたを思うのだ。